震災を詠んだ短歌と俳句


      昨年夏の福島の子どもたちの保養キャンプ




 朝、新聞を読んでいく。
 歌壇・俳壇のページが出てきた。
 ああ、今日だから、今日だから、この歌と俳句のなかに、あるにちがいない。
 投稿された人の歌と俳句と住所を見ていく。やはりあった。福島の人の歌があった。


    難民の「いいごとあっか」「何にもね」
    常套句となりて交わす挨拶
              (福島市)泉田ミチ子


 「難民」、そう、難民。避難民と言わず、難民というしかない。
 避難民は、避難する人たち。難民は、災禍を逃れて故国、居住地を離れ、異土の地に今を生きる人たち。
 津波放射能からの一時的な避難ではない。帰るに帰れない故郷。
 国の政策がすすめてきたこの国の文明が、大地を汚染し、生活を破壊し、命を奪った。交わす挨拶は「いいごとあっか」「何にもね」。
 

    除染とや
    土削られて木は伐られ
    しかれども春、三度目の春
               (福島市)美原凍子
 

 三度目の春なんですねえ。あの年の春は、ただただ逃げ場を求める春だった。三度目の春を迎えても、復興どころではない。今もこれからも、文明の災禍の残骸、放射能汚染は続く。原発がすべて廃炉になって、汚染物の処理が終わるまで、何十年、何百年、何千年、祖先が愛した美しい日本の国を取り戻したいといいながら、原発を存続させようとする安倍首相の夢の矛盾。

     この冬はヤマガラばかり庭に来る
     山の除染で壊れた縄張り
               (福島市)澤 正宏

 山の木も除染しなければならないほどの汚染、動物たちにもその影響が出る。すでに動物たちに身体にも影響は出ているかもしれない。チェルノブイリは、原発から何キロかの汚染地は人の営みは消え、植物は繁茂し、そこに動物たちが来て住んでいた。フクシマの自然はどうなるだろう。

 岩井英雅が「大震災の日に思う」と題して書いていた。天災、戦争、幾多の厄災に見舞われてきた。俳人はそれにどう臨んできたか。
 高浜虚子は、戦争が起きても、俳句は何の影響も受けなかったと答えた。虚子にとって、俳句の終(つい)の主題は、常に心を流動の姿に置いて、四時(しいじ、四季のこと)の変化を詠むこと以外に何もありはしないから、戦争が俳句の本質を変えたりすることはありえない、ということだろう。虚子は、人間の生滅も、花の開落と同じく宇宙の現象として眺めていたのだ、と。そして、終戦の日を詠んだ次の句を取り上げている。

      秋蝉も泣き蓑虫も泣くのみぞ

 「私たちは無限の時空の中に命を浮かべている。その命を詠むということは、無限の時空を思うことでもある。」と述べて、「震災句集」を出した長谷川櫂の句を一句掲載した。

     幾万の雛(ひな)わだつみを漂へる

 大津波で流された家々の雛人形が帰るところもなく、大海原を漂っている、というのだ。3月3日から8日たっただけの、11日、震災はやってきた。雛人形は、無言のまま大海をさまよっている。雛人形にも、愛され愛した魂がある。