屋敷林フォーラム

 昨日、安曇野市役所の大会議室で、屋敷林フォーラムがあり、参加してきた。
 基調講演は、信州大学佐々木邦博教授が、緑地の役割と日本の緑地環境について話され、つづくパネルディスカッションでは、東京都武蔵野市富山県砺波市、そして安曇野市のそれぞれの代表から、所属自治体の屋敷林と自然環境・緑化の取り組みについて発表があった。
 武蔵野市は、東京都のど真ん中にある都市だけに、安曇野のような山岳自然には恵まれていない。だが、かつての武蔵野の自然を喪失してきたゆえに自然への関心と緑を取り戻そうとする市民の意識は高く、その内容は目を見張るものがあった。武蔵野市内の公園は182カ所あり、憩いの空間として市民に親しまれている。また街には緑のボランティア団体が26団体あり、生け垣などの刈り込みのできない家に出向いて手伝いをしたり、落ち葉の掃除をしたりして、扶助する活動をしている。また市では、大きな木は指定保護して残し、位置の変更が必要になれば伐らないで移植する。富山の砺波市は、散居村と呼ばれる屋敷林が田園地帯に点在し、美しい景観をつくっている。公園にはチューリップ、コスモス、花菖蒲など花が咲きほこっている。砺波もまた環境、景観の保全に力を入れ、観光に活かしている。
 そこで安曇野市の課題、「屋敷林と歴史的まちなみプロジェクト」が指摘するのは、市民の意識だった。
 安曇野に残る屋敷林の樹木は確実に減少している。アンケート調査では、「屋敷林は要らない」「屋敷林が無くなっていくのはやむを得ない」と応えた人が50%近かった。
 理由は、落ち葉が困る、日陰になる、交通の邪魔になる。屋敷林はやっかいな迷惑な存在だ。居住者だけでなく、周囲の地域でもそう思っている人がいる。
 相馬黒光が明治時代に相馬愛蔵と結婚して穂高に住み、「穂高高原」のエッセイを書いているが、そこにも屋敷林の木々が天を突いていた。江戸時代から続いてきた屋敷林だ。が、現代社会の生活様式は大きく変わり、防寒、防風に備えた家屋構造になってから屋敷林はやっかいになってきた。手がかかるし金がかかる。居住者のなかにはもてあます人もいる。
 この二年の間に、私のウォーキングコースで、10本近いケヤキの大木の伐採を見た。大きな切り株を見て、なんということをしてくれた、と思うが、私有財産の処分だから、他人は何も言えない。
 だが、歴史的遺産ともいえる屋敷林は単なる私有財産で片付けられるのものだろうか。法的にはそうだが、屋敷林は風景を構成し、連なる樹林の一部として、人々の精神を涵養してきた。そして景観として人びとに受け継がれ共有されてきた。「おらが国の、おらが村の緑の宝」。武蔵野市砺波市ではそれを行政としても守ろうとし、また市民ボランティアが守ろうとする。
 安曇野の景観美は、遠景の山岳地帯、中景の屋敷林を含む平地の樹林帯、そして近景の田園地帯、この三層によって形成され、緑の波の連続性がハーモニーとリズムによる美を感じさせる。その逆に、幹線道路沿いは看板や幟(のぼり)、はでな色彩と調和しないデザインの建造物が目立ち、醜悪な不協和音のような景観を生んでいる。
 明らかに安曇野の景観は劣化している。フォーラムで出た意見は、市民の美意識、美的感覚が鈍くなっているのではないか、それをどうしたらもっと磨くことができるだろうか、ということだった。市民の生活圏内の樹林がどんどん減少していても、気づかない。気づいても問題意識を持たない。
 学校で、先生が美意識を持ちなさいと子どもに言って育つものではない。美の感性は教えて生まれるものではない。
 安曇野市を南北に貫く広域農道は最も長い幹線道路であり、田園地帯を縫って商業ゾーンをつないでいる。これが景観にマイナスの役割を果たしている。はでな看板に幟(のぼり)、はでな色彩と調和しないデザインの建造物、往来する車はその落ち着かない不調和の中を行く。
 だから思う。美意識に影響を与える具体的な創造を行なうことだ。それはこの往還を変化させることだ。それは、明らかに一つの安曇野のシンボルを創ることになり、それを市民たちが共有することになる。すなわち美しい緑のシンボルを創るのだ。
 緑のシンボル創りとは、幹線道路に沿って歩道を完備し、並木を植え、緑の帯を創る。南の松本市から、北の松川村まで、長い長い並木の連続だ。並木の間から山なみが見え、田園や屋敷林が見える。途中に緑のオアシスがある。三郷ベジタブルや浜園芸のある商業ゾーンが「三郷オアシス」。堀金物産センターからベイシアの辺りは「堀金オアシス」、綿半からコメリ辺りに「穂高オアシス」。豊科と明科地域にも拠点にオアシスをつくる。緑あふれ、店があり、カフェがあり、市民の朝市も出せるところ、市民の寄り合いたくなるところ。
 これができたら、風景は一変する。住民の意識も変化する。要するに、屋敷林を含めて、景観・環境を面的にとらえて保全していくには、シンボリックなプロジェクトが必要である。見はるかす景観がメロディ、ハーモニー、リズムを奏で、それが市民の心に響き、美意識、美の感覚に変革をもたらす。屋敷林は一つの要素である。要素を活かし繋ぐもの、いろんな要素を調和させるもの、そして市民が誇りに思えるもの。それが緑の帯、緑のオアシスというシンボルである。それは安曇野市の一体感を生み、安曇野の美の保全、全体観になっていくだろう。
 この地に誇りを感じ、この地を愛する「安曇野のシンボル 緑の帯」。