白鵬の孤独な想い

[写真:オーストリア国鉄・自転車をどうぞ]

 足を踏んだ者はそのことを忘れるが、踏まれた者の記憶は消えない。江戸時代から先祖代々、差別され続けてきた被差別部落の人たちが解放運動を起こし、その大衆集会でよくこの言葉を聞いた。
 差別されたり疎外されたり、暴力を受けたりすると、そのときの苦悩や痛みを被害者は忘れない。侵略された人たちの記憶と侵略した国の人とでは、記憶は大きく異なる。
 水俣病と診断されながら国の基準では認定されなかった11人が国と新潟県、原因企業の昭和電工に損害賠償を求めた新潟水俣病3次訴訟で、新潟地裁は、原告7人を患者と認定し、昭電に1人330万〜440万円の支払いを命じたが、国と県の賠償責任については「新潟水俣病が確認された1965年以前に、国や県が被害発生を認識していたとはいえず、工場排水を規制しなかったことが違法とはいえない」として認めなかった。発生してからいったい何年たっているのか。痛みは被害者の体に残っているが、加害者の記憶には痛みは全く存在しない。いまだに差別され続ける。

 国技の大相撲、たくさんの外国人力士が活躍してきた。いま白鵬の孤独が気にかかる。白鵬はモンゴル人でありながら、日本人の魂をわが身に育んできた。尊敬する人は大鵬だった。白鵬の姿には、祖国でも日本でも輝く栄誉にゆるぎないプライドが垣間見える。その彼が孤独を感じるのは、横綱という立場からくる孤独だけでなく、モンゴル人という自我のゆえに、自分に向けられる日本人の意識と眼差しに何かを感じるものがあるようにぼくには見える。
 鶴見俊輔は大相撲が好きだった。こんなことを書いていた。
樺太出身で、父親がウクライナ人、母親が日本人の大鵬は、苦労して横綱まで進み、好取組みを重ねた柏戸とのあいだで、新聞雑誌上で八百長をうわされたことについて、ほんとうに悔しかったと思い出を述べ、
 「私が柏戸さんに『いろいろつらかったろうね』と言ったら、彼は『‥‥ウン』と言ってボロボロ泣いたんです。素直でいい人だなあと思いました。それから私たちは人間対人間として、真の友になったんです。」
 古めかしいスポーツのジャンルの中に、これほどインターナショナルな道が隠れている。私は相撲が好きで、子どものころからよく見に行ったが、相撲界の身ぶりの中に、こういった未来への予見がかくされているとは、これまで考えたことはなかった。
 アジア主義とか、アジアへの展望とか言うが、そういう政治用語を超えるアジア感覚がここにある。国会や、国会についての新聞記事を超えて、日本人が今も捨てていない身ぶりの中に世界の諸国家のせめぎあう状況を超えてゆく力がひそんでいる。そこまで戻って考え直さないと、原爆使用のビッグ・サイエンスと結びついた国家制度から人間が自由になる道はない。>
 過去にさかのぼって、外国人力士はどれだけいるのだろうかと調べたら、なんとまあ驚く結果を知った。
1、 モンゴル 55
2、 アメリカ・ハワイ 31
3、 ブラジル 16
4、 韓国・中国 12
6、 トンガ 8
7、 ロシア 6
8、 グルジア,フィリピン 4
10、 アルゼンチン,英国,エストニアサモアブルガリア 2
 チェコプラハ出身の力士もいる。
 角界に入って上位に上らず、消えていった力士も多いが、外国人力士の存在がもたらすものを考えることだと思う。日本の伝統、国技の世界が、国際的な友好の場となっている。