日本の闇をあばく一冊の本「黄泉の犬」

 昨日の夕方、近くの農業用水路からタンク二つに水を汲み、一輪車に載せて帰ってきたら、ご近所のOさんが裏口に立っておられる。
 「この本です」
 Oさんの手に一冊の本があった。その本は、「黄泉(よみ)の犬」というタイトルで、かなり分厚いものだった。
 その日の朝のゴミだしのとき、ゴミ集積ステーションでOさんと立ち話をした。どういうきっかけだったか忘れたが、ぼくの話は水俣病と株式会社チッソにまつわる体験談になった。1970年代、「チッソを告発する会」に入り一株株主として、水俣病で死んだ家族の遺骨を胸に抱いた白装束の患者と共にチッソの株式総会にぼくは繰り込んでいった。総会は開会と共にすぐさま議事は決議されたと宣言され、議場はチッソ本社が雇った30人ほどの暴力ガードマンによる暴行の修羅場となった。ぼくもまた蹴られ殴られ、髪の毛を引き抜かれる仕打ちを受けた。
 その話をOさんにしたとき、Oさんが、オウム真理教麻原彰晃水俣病とのつながりを書いた藤原新也の本があると言って、かいつまんでその話を語ってくれた。教祖の麻原は眼の障害を持っていた。それは水俣病によるものではないかという推理がなされ、その究明に及ぶドキュメントがそこに書かれている。
 「そういうことがあったんですか」
 ぼくはその本を知らなかった。
 「この話をすると、関心を示す人が多いです」
 Oさんはそう言った。
 「それを読んでみたいですね」
 立ち話はそれで終わったのだが、Oさんはぼくの興味関心に応えて、その一冊の本をぼくに示しに来てくれたのだった。
 Oさんの手にある「黄泉の犬」の表紙を見ると、犬が人間の脚をくわえている写真が載っている。裏表紙は遠くに白い雪をかぶる富士があり、手前は花のさく庭園の写真だった。
 「裏表紙はサティアンです」
 ほー、そうなのかあ、表と裏の違い、黒白のすごい写真だった。

 ぼくはいまそれを読み始めている。
 プロローグにこんな文章が出てきた。
 <戦後五十年、ニッポンの風景を破壊し、地域社会から家族にいたるまで、あらゆる人間共同体を分断した高度成長の果てに、その荒れ果てた教育や崩壊した家族から脱走した子どもたちが逃げ込み構築した真実(サティアン)という名の神殿の、何とあの寒々とした水俣や富士の化学工場と似ていることか‥‥。
 親たちは戦後、ひたすらな“生産工場”以外のなにか人間的な美しい家族や人間の関係というものを子どもたちに教えてこなかったのである。子どもたちの構築した奇妙なサティアンはそのツケであり猿真似である。この子どもたちが生まれ育つつい最近まで、親はそして国家は彼らのサティアンであるところの配管だらけの工場群で、富士や水俣の美しい風景を破壊し、硫化水素や水銀などの化学物質を垂れ流して、地下鉄サリンで死んだ人々の優に百倍もの善良な市民を殺してきたではないか。>

 そこから筆者は、麻原彰晃という人物が、なにゆえにサリン事件を起こすにいたったのかと、彼の生い立ちと日本の社会、政治、歴史を検証していく。
 藤原新也は、九州八代の麻原彰晃の故郷へ飛ぶ。そして、
‥‥麻原彰晃の眼の障害は(八代)海によるものではないのか?
と推理する。

 <水俣の惨事から四十年後、かりに水俣の怨念の亡霊のごとく立ち上がったひとりの宗教者がまるで報復のように化学物質によって国家機能を止めようと夢想したとするなら、つまり水俣病である麻原彰晃が、この国全体にサリン噴霧を試みようとしたとするなら、歴史はめくるめく因果の応報というべきか>

 今この本を読んでいる。
 歴史は単なる過去のものではなく、あの戦争、公害、災害、事故、環境破壊など、いくたの不幸を無辜の民にもたらしたものについて、根底からその過ちが認められ、清算されてはおらず、今も続いており、むしろ無責任な体制はそれをうやむやにする。日本の闇の深さをきりきりと感じる。