もっと議論しよう<安曇野市議会の体質>


 先の10日午後、安曇野市議会の25人の全議員が四角に向かい合って座り、議論を交わす、全員協議会を傍聴した。傍聴席にはぼくを含め市民6人がいた。
 全員協議会が終了したのは夕方5時半、非常に疲れた。隣の席で傍聴していた片桐さんも疲れ果て、会場外に出たら、歩くのも困難だった。片桐さんは一年ほど前、臨死体験をされており、だから体調がまだ微妙な状態で、この傍聴は心身にこたえた。傍聴しているだけなのにどうしてこんなに疲れたのだろう。原因はどうも全員協議会の雰囲気にある。傍聴している間、うつうつとした気分が解放されない。真摯な討議が問題の本質に迫り、究明の明かりが灯るような討議会ならば、そこに参加している人の精神は解放される。ところがそうではなかった。道を発見していく議論ではなく、その逆、底意地のとげがありありと感じられ、議論の混沌を理解し咀嚼しようと聴き耳を立てているこちらの神経が疲れてしまったのだ。
 全員協議会の一件目の問題は、前市議の某氏から議会議長に提出された「要望書」が元になった。その要旨はこういうことだった。
 <安曇野市は「自治基本条例」の制定に向けて意見を聴くために委員を公募しワークショップを開いた。ところがそのなかに二人の現職議員が含まれていた。市民の声を聴く機会とはいえ、議員がワークショップに参加することはよくない。市議会で適切に対処されよ。>
 その二人M氏とH氏は無所属の新人議員で、「市民の声を聴いて学ぼうという意欲があったから参加した。参加してみてたいへん勉強になった。ワークショップ参加については行政担当者も認めたからで、議員も市民とともに考え意見を交換するのは間違ってはいない」と述べた。だが先輩議員たちからは批判意見が相次いだ。新人議員が答えると、その発言に対して上から見下しバカにするような、あきれたような笑い声が起こる。苦笑のような感じもあった。このときの新人を軽んじる雰囲気は、傍聴しているぼくには非常に不愉快で腹立たしかった。
 その次の案件は、議事の「事前通告制」についてだった。全員協議会で話し合いたい議題は前日5時までに書面で議長に通告しなければならないという内規がある。これについて無所属市民派のK議員が、「通告制の廃止」を提案した。急いで話し合いたいこともあり、事前に通告できない場合も起こるからである。
 「それはそもそもあんたのせいだろ!」
 反論の本音も飛び出す。事の発端は、議員のひとりが市職員に贈り物をしたことを一市民が調べて明らかにし、それを受けたK議員が全員協議会で取り上げたことにある。全員協議会の議題はあらかじめ通告することとなるのは、そのことがあってからだった。K議員は、徹底して市民の生活の中に入り、内部告発的な活動も含めて議会の改革を志して活動してきた無所属女性議員であったから、我が居城を守ろうという意識の強い議員たちからすれば「やっかいもの」である。かくして内輪の問題を外にばらまく者という反感を内に秘めて、議案を制御するために事前通告することという手続きを制定してしまった。そういうことがあって、K議員は、「事前通告制はやめよう」という提案を行なったのだが、それをめぐって傍聴席の前で展開される筋があるのかないのか分からない議論、挙句のはて「事前通告制」はこのまま続けるとなった。
 最後に議長が、
 「聖徳太子の言ったように『和をもって尊しとなす』、議会は信頼に基づいてやっていくもの。みんな安曇野をよくしたいのだから、足を引っ張り合うようなことはやめて、もっと和を大切にしよう」
とまとめて、議論は終わった。三つ目の重要案件、政務活動費の不正使用問題についての協議は延期になった。政務活動費の問題が起こってからすでに一年になる。今年一月に住民監査請求を行ない、それを受けて監査委員会から監査報告がなされてからも議会は動かない。この問題をどうとらえ、これからどうしていくべきか。
 傍聴していて思ったのは、本質的な究明がそっちのけだということだった。異論や相互批判を抑制し、仲間同士の和を大切にする。同調主義の体質は根強い。
 討議の中で革新会派のM議員がこう強調した。議員は特別職公務員であり、市民であっても市民ではない、と。具体的にそれはどういうことかは彼は説明しなかった。ぼくはこの言葉の裏にひそむものを感じた。以前市議会議員団と市民との意見交換会の場で、ぼくが意見をまとめたプリントを会場で配りたいというと、彼は高飛車に「取り決めだから会場の外で配れ」と言った。市議会で取り決めたのだから市民は従えというわけだ。その傲慢な態度にぼくは反論したが、印刷物は会場内で配れなかった。彼の言うこの「議員は特別職公務員なんだ」という言葉の奥に、議員は市民の税金によって任務を任されているという自覚とともに、彼のプライドの立ち位置は市民よりも一段高みにあるのだという意識を感じたのだった。
 議員は議場という城の中にこもって、仲間内でかばいあいながら、市政を動かしていく特権階級ではない。市民と議員は同じ平面に立ち、フリーに意見を交わす機会をもっともつべきだ。議員たちはどのように市民のなかに入っているか。市民のなかに入って活動している市議会議員はどれだけいることか。一部市民派議員以外の議員の姿を日ごろ見たことがない。
 それでもこの日、全員がフリーに意見を出し合ったという点ではよかった。本音も聞かれた。このような討議が回数を重ねるにつれて議会の質が高まっていくことを希う。