市議会傍聴記(1)


 昨日、安曇野市議会を傍聴してきた。6月定例市議会の最終日だった。
 他に要件があったのだが、それをおいて傍聴に出かけたのは、今国会で審議中の「安保法制案」に対する意見書が議案に出されていたからだ。
 午後、90億円かけて建てられた新しい市庁舎の3階に上がった。本会議場はそこにある。新市庁舎が5月に完成してから初めての本会議場にぼくは入る。
 6月議会を傍聴に来た人たちから聞いていた、「傍聴席の前、議場との間に、高い壁ができているぞ」という「壁」を見た。なるほどこれか、「壁」というより「フェンス」だけれど、「壁」と言いたくなる。傍聴席に座った。なるほど、やっぱり。議場の議員の頭が見えるだけ、背の低い人の頭は完全に隠れて見えない。ああ、ベルリンの壁は市民によって撤去されたけれど、安曇野市は、議員と市民の間に壁をつくったか。これは完全に意図的なものだと直感した。
 この3月まで、5町村が合併して安曇野市ができてからずっと使われてきた堀金庁舎の議場よりも、この新庁舎は後退してしまっている。その後退は、議員や行政の意識の中にあるものが原因ではないか。
 6月議会が始まってから傍聴に来た人が何人もこのことを言っていた。
 「いったいどうしてこういう設計になったのか。行政関係者は傍聴席に座ってみたのか。座ったら見えないということが分かるはずだ」
 「議員の姿があからさまに見えないように、意図してやったんだろう。」
 「議員が居眠りしていても、これじゃ分からない。」
 「背後から見られているのがいやだから、議員のなかからこういう高いフェンスにしてほしいと言ったんではないか」
 「開かれた議会にしようとか、大いに市民は傍聴にきてほしいとか言いながら、こりゃ逆行してるじゃないか。」
 この日、傍聴に来ていたのは、ぼくともう一人の二人だけだった。マスコミ記者は3人いた。堀金議場のときは、議員の様子がよく見えた。誰がどこに座っているかもよく分かった。けれども、新議場は、議員の姿が見えないから、一人ひとりの議員を目でキャッチすることも身近に感じることもできない。
 なぜこういうことになったのか、行政は市民にそのわけを明らかにしなければならないと思う。
 この日、「安保法制案」への意見書は二つあった。一つは、小林議員提案の「安保関連法案の撤回を求める意見書」、もう一つは荻原議員提案の「安保関連法案の徹底審議を求める意見書」、この二つはそれぞれ別個に討議に付され、採決が行われた。討議を聞いていると、二者の賛成意見は共通していた。安保法制によって日本は戦争できる国になり、国を戦争に向かわせる危険なものである。憲法違反であり、立憲主義に反する。
 一方、意見書に反対する議員はこう主張した、「日本が置かれている状況がある。他国から攻撃される危険に備えなければ、国も国民も守ることができない」。
 反対意見よりも意見書の採択を求める賛成発言の方が、多かった。
 そして採決となった。結果は?
 小林提案否決。荻原提案否決。全国で続々と国の安保法制を批判する決議が上がる中、安曇野市議会は意見書を否決した。
 これが安曇野市だ。ぼくはなにも意見を言わずに政府を受け入れる議員たちの頭の先を眺めていた。
 そのとき、一人の議員が大声を発した。
 「議長! 慎重審議について緊急動議」。
 動議の中身も何も分からない。それなのに、議長はそれを予定して待っていたかのようにすいと動議を受け入れて、休憩宣言をした。この時、時間は午後5時が迫っていた。ぼくは帰宅しなければならない。何か変だ、異様だ。ぼくは不自然なものを感じたが席を立った。このとき傍聴席にいた市民はぼく一人だった。(つづく)