「べてるがほたかにやってきた」<北海道浦河町の「べてるの家」の実践>

 「べてるがほたかにやってきた、今から講演会、聴きに行きます」、純子さんからの電話。穂高の「くるりん広場」で北海道浦河町の「べてるの家」からやってきた人たちの講演会がある、精神障害を取り組んできた人たちで、実験もある。それを聞いて、朝10時、ぼくも車で走った。どんな講演会なのか、よくわからないままに、それでもこれは聴く価値がありそうだと感じていた。
 会場につくと、もう始まっている。部屋は満員で、中に入れない数人がドアの外で聴いていた。ぼくも開かれたドアの外に用意された椅子に座って聴いた。広い学習室の前に二人の男性がマイクを持って立ち、ホワイトボードの前にもう一人女性が立って、会話を交わしながら話を展開している。女性がときどきボードにポイントを書く。講演会の主催は、「NPO法人ほたか野の花」、タイトルは「『べてるの家』の障がいの文化と地域づくり実践から学ぶ」。参加者は200人ほど、全市的な広報はなくて、これだけ集まるとはすごい。
 「障がいの文化」、精神障がいもまた文化ととらえていることに驚く。男性二人は掛け合いの対話をしながら、いわゆる講演という一方通行の話ではなく、聴き手と同じ平面で語りかけていく。そういう語り手の同志的意志・感情が空気となって会場に満ちていく。話の意外性とユーモアが聴き手を引きつけ、ときどき笑い声が起こった。
 統合失調症など精神障害を抱えた人は、病気と障害の困難の上に、差別的な烙印を押され、誤解や偏見にさらされてきた。30年前の浦河町でも、いちばんみじめなことは精神病棟に入院することという厳しい現実があった。治療と社会復帰を支援する以上に、療養という名の合法的な長期収容が行われていた。
 そこに現れたのが一つの考え、それが理念として生き方と社会を変えていく。「精神障害を体験した一人の町民として、この町のためにできることを模索しよう。保護されてばかりでなく、役割を持ち、貢献できる機会や場を創りだそう」、1978年、回復者クラブはそれをめざした。精神障害を抱える当事者の体験の中には、地域住民が学ぶべき市民としての有用な人生経験が集積されている。
 浦河町では、こんな会話がよく飛び交うという。
「自分の行き詰まりに手ごたえを感じる」
「この困り方はいい線いってるね」
「悩み方のセンスがよくなってきた」
「自分の悩みや不安に誇りを感じる」
「あきらめ方がうまくなってきた」
「悩みの多さに自信が出てきた」
「病気のスジがいいね」
 子どものころから、リスクを回避することが自ずと将来の安心を獲得できるという暮らし方が植えつけられてきた。勉強して、いい成績をとって、健康に気をつけて、事故に遭わないように、安楽なように‥‥。浦河ではそれとは逆だ。
 男性は、ソーシャルワーカー北海道医療大学教授の向谷地さん、もうひとりの男性は統合失調症をながく患ってきたがそれを克服した伊藤さん。
 講演会のなかでひとつの実験が行われた。聴き手のなかにいる統合失調症の女性、Kさんが名乗りを上げ、講師の横に立つ。
 「自分の苦悩のプロフィールを明らかにしましょう。」 
 向谷地さんが質問していく。すなわち「当事者研究」。6年間、幻覚・幻聴に悩んできたこと、自分の首の後ろあたりでいつも幻聴が聞こえる、「出ていけ」「死ね、死ね」、声は男性、40歳ぐらいの男の声。向谷地さんとKさんが対話していく。その声は誰? どうも元彼のようだ。
 そういう症状が出るたびにこれまで薬を飲んできた。大量の薬でブロックしようとしてきた。しかし薬が切れたらまた幻聴が聞こえだす。入院して、ベッドの上でひもで首を絞めようとしたこともあった。そのときは看護師が発見して事なきを得た。
 精神障害の人たちが普通、「隠そう」「隠すべきだ」とする自分の「弱さの情報」、その公開が行われていく。
 向谷地さんが言う。
「今は個人情報を保護するのが当たり前の時代です。でも個人情報で秘匿すべき情報はごく一部です。ほとんどが地域で暮らす一人の市民の有用な生活体験として共有すべき大切な情報なのです。困った体験、失敗の体験、苦労の体験の公開が大切なのです。」
 Kさんもその場のみんなも、共感的にその苦しみを受け止めていく。
 みんなはKさんの笑顔に気付いた。Kさんが明るく笑っている。自分の後ろの幻覚も笑顔になっている、とKさんが言う。6年ぶりに笑ったという。二人はうなづく。
「元彼は、生きろ、生きろと言ってるのです」
「そうです、そうです」

 講師の向谷地(むかいやち)さんは1984年に有志とともに「浦河べてるの家」を立ち上げ、精神障害を抱えた人たちと共同体をつくってきた。
 浦河町は北海道の東南、太平洋に面し、襟裳岬の近くにある。人口一万五千人。浦河は、北海道でも過疎地にあり、さまざまな「悪条件」に囲まれている。
「今日も明日もあさっても、順調に問題だらけ、いろいろな苦労が起きています。」
 「順調に問題だらけ」、逆境を順境ととらえる、向谷地さんの唱えるこの見方がポイントなのだ。
 「障害を抱えた当事者たちが、どんどん地域へ出て行って、家庭をつくり、子育てにも挑戦しはじめています。子どもを育てることことは無理だというもっともな意見が大勢を占めるなかで、『遠慮なくどんどん結婚すればいいよ』と言い続けてきました。浦河は続々カップルが誕生して、運動会ができるほどに子どもの数が増えました。もちろんギャンブル依存症のある人は、『順調』に子どもをほったらかしてパチンコに行くというスリップした状態もあります。しかし、だから、家庭を持つことをあきらめるのではなく、SOSを出す力があれば、十分に生きていけると私たちは考えています。浦河は、児童虐待ネットワークの活動も、とても活発な地域になりました。つまり、問題を起こさないことよりも、相談する力を身につけること、『弱さの情報公開』です。弱さという情報は、公開されることによって、人をつなぎ、助け合いをその場にもたらします。その意味で、『弱さの情報公開』は、連携やネットワークの基本になるものです。それをプライバシーとして秘匿することによって、人はつながることを止め、孤立し、反面生きづらさが増すのです。」
 向谷地さんは、浦河町では統合失調症は社会的ステイタスが高いという。「三度の飯よりミーティング、ソーシャル スキル トレーニング」、「自分の病気に自分の病名をつけよう」、「苦労を取り戻そう」「安心してサボれる職場づくり」など、べてるの理念と実践が町民の中にある。
 北海道浦河町の特産品、日高昆布なども会場の外で販売され、多数の関連著作も並べられていた。ぼくは向谷地さんの「安心して絶望できる人生」(生活人新書 NHK出版)を購入し、今日のこの講演の世界をとらえようと思った。「安心して絶望できる人生」、このタイトルも意味深長だ。
べてるの家」の実践は、全国に広がっている。さらに世界へも。2007年には韓国から30人がやってきた。2014年、向谷地さんがバングラディッシュに行くと、統合失調症若い女性が裸で檻に入れられていたという。イギリス、スリランカ、海外でもソーシャル スキル トレーニング(SST)を始めているという。