福島の子どもたちは今 <保養キャンプ 今年も企画>


 今夏の福島の子どもたち・家族の安曇野保養キャンプをどうするか、「安曇野ひかりプロジェクト」の話し合いが1月から始まっている。
 保養ステイは今年で4回目になる。「地球宿」での1回目の討議は、実施を前提に始まったが、どのようなプログラムにするのかということでは、意見はまとまらなかった。
 今まで参加してきた福島の人たちにとっては、安曇野キャンプは故郷に帰るような、親しみと懐かしさをおぼえるものになっているようだ。子どもたちは成長し、家族単位の参加の規模も限定され、はたしてこれまでのような企画でいいのか、意見は分かれ、次の2回目のミーティングで煮詰めて方向を定めねばならない。
 事務局を担ってきた増田望三郎君と大浜崇夫妻のところに、福島から情報が集まってきている。被災地以外の日本の状況をみると、しらじらと意識は風化してきている。しかし、原発が人と大地と自然界にのこした傷は深く、それは後世まで長く残りつづけるだろう。福島原発事故は、人類史に今後どのように刻み込まれていくだろうか。
 集まってきている情報を読むと、改めてことの深刻さにため息が出る。

■<これまでの参加者から>
 ▼私は 安曇野に母子避難をしていました。今の福島の生活は、震災を忘れるかのように普通の日常があります。北海道産米を使用していた学校給食のお米は地元産米になりました。安曇野の皆さんの手作りの 保養プログラムがどれほどの労力とお気持ちで成り立っているのか、本当にありがたく思います。でも、負担になってしまうのは 悲しいことです。私が福島に帰る決心ができたのは、安曇野の大地でたくさんの人たち、農家の人たち、同じ想いのママたちに出会えたからです。何かあったら安曇野があると思えたから福島に帰れる希望がもてました。
 ▼県民健康管理調査検討委員会では、甲状腺の1次検査で異常なしと判断された子供達でも、2次検査で甲状腺がんの疑いがあると診断された子が、時間が経過するに伴い増えているのが現状で、今後が不安になります。保養ステイは、現在の子供の状況を勘案すると必要だと思っております。安曇野で3年間お世話になり、孫たちも夏休みの良い思い出となっており、今年も行ければと思っております。
 ▼保養ステイに出かける頻度は少なくなりました。福島は大丈夫?との思いはあるものの、日常生活に流される毎日です。また、安曇野に行きたいです。夏休みに実家に帰る感じで嬉しい気分になるんです。ひとつ要望をいうなら長期休暇が取れないので1日でも子供のみでもOKの日をつくれないかなと。
 ▼保養プログラムに参加した子どもたちやご家族は、「自分たちが見捨てられてはいない」ことを確認し、感謝の気持ちを持っています。今後はそのご恩に少しでも報いつつ、自分たちでも立ちあがるべきだと考えます。なによりも「自分の子どもは自分で守る」という基本を確認することです。2015年度は、参加者の組織化をすべきではないでしょうか。福島にてお手伝いできることはしますのでお声かけください。

■<山梨県で保養プログラムを企画してきた女性から>
 私たちは夏冬と年2回の保養プログラムを続けています。正直なところ、何とか続けているという感じです。メンバーで今年もやるかどうかを検討しているのですが、一番の検討材料は「福島の人たちは保養を求めているのだろうか?」ということです。保養プログラムをやり続けるには、莫大なエネルギーが必要です。原発事故や汚染地で暮らす人々への関心がどんどん薄れていく中、自分の生活を多かれ少なかれ犠牲にして支援に関わることの難しさ、そのような負担を他人(スタッフ)に強いることへの躊躇、圧倒的なマンパワー不足の不完全な体制のまま実施することで、スタッフや参加者に無理がかからないのか、人員も体制も整っている団体に任せればいいんじゃないのか、そもそも自分はなぜ保養プログラムに関わるのかと、スタッフの迷いはつきません。
 今後の保養キャンプをどうするか、一度みんなで話し合わないと、というところへ、昨年の夏キャンプで利用した「みんなの希望ファンド(セーブザチルドレンジャパン×うけいれ全国)」から、同じ基金を利用した全国の保養プログラムの参加者(約300名)へのアンケート結果が送られてきました。読み進むにつれ、300人の叫びにも近い訴えに、圧倒されるとともに、4年経ってこれなのかという現実に、たいへんなショックを受けました。

 ◆特に衝撃を受けた「外遊び」に関する回答。
・草むらや土遊びをさせない。近寄らせない。
・家の周りの草花にはあまり触れさせたくない。
・私自身というよりも、本人が自分から外へ出なくなりました。
・夏休み中ですが、自転車の練習は1日30分まで。外出は目的地までの車の移動のみで殆ど歩かせない。
・部活動について、外でのものはNG。子供がやりたいと言っても我慢させる。
・外で遊ばせることは殆どない(学校や幼稚園の活動のみ)。
・砂遊びは全くしていないです。
・家に帰ってきたら外には出ません。
・庭で遊ばせない。給食もお弁当。川も海も行かない。サッカーをやめさせた。
・外遊び時間が減るように週3で公文や習字に行かせて、週末はなるべく車で移動する。
・今は特に制限はしていませんが、子ども自身が外で遊ぶことを忘れたように遊ばなくなりました。

 ◆プログラム参加前後の子どもの変化
・福島にいるときは鼻血、痰、咳が止まらず病院へ通院するほどだったのが、保養に参加するたびに止まった。
・10ヶ月の次女は保養に行く前は下痢気味でしたが、改善されました。しかし戻って2日後、また下痢をしています。
・農業体験や魚のつかみ取りなどを通して食材一つ一つを大切にするようになりました。どんなに大変でも自分で決めたことはやり遂げるという粘り強さも身に付けてきてくれたことが大きな変化です。
・弱っていた胃腸が回復し、食欲が増しました。頭痛などの体調不良を言わなくなり、目の下のクマもなくなりました。
・素材を活かしたおいしくて安心な食事を毎日いただいて、食べものへの感謝の心が生まれました。体に良くないものは取り入れたくないと言い、驚きました。放射能のお話や政治まで勉強する機会を与えてもらい、親が言っても伝わっていない部分をちゃんと消化して頭に入れて帰ってきました。
・外で遊んで疲れて寝る、という子供なら当たり前のことができるようになりました。

■<保養プログラムを実践している他県の人から>
 私は週末保養プログラムを年8回ほど。夏休みの長期保養プログラムを1回行っています。ほとんどは子どもだけの参加です。子どもを預かる分、少しでも保護者に一息ついてもらいたいという考えもあります。このところ参加する方が固定化する一方、新しいお友達を誘ってもらうことで少しずつ希望者も広がりつつあります。まだまだ安心して外で遊ばせていない方もあり、週末とはいえ、県外まで連れて出かけるのも負担という方も多いようです。震災から4年、保養プログラムにも多様性を持たせるのが良いだろうと思っています。放射能汚染の心配のない場所で、自然体験、友達との関係づくり、大人たちとの交流、家族を離れて「自分」を見つける、スポーツやレクリエーションによるリフレッシュ、これに加えて最近大事かなと思うのは「外に向かっての興味・関心」を刺激することです。原発事故直後から閉じこもる2年間で、子どもたちは屋内で遊ぶことの面白さ(ゲーム)を知り、外遊びは面倒だと言って選択しない子どもになってしまっていないかと気がかりです。この傾向は、実は全国的にも広がっているのかもしれません。しかし福島の子どもたちにとっては、強いられ、仕向けられてきた傾向なのではないかと思うのです。文科省が来年度も継続してくださる「福島県の子供を対象とする自然体験・交流活動支援事業」は、まさにこの部分を考えた施策です。福島県内の保護者がグループを作り、自主的に企画運営する自然体験・交流プログラムにも補助金が出る制度があります。ちょっとしたコツとやる気で、支援くださる皆さんの負担も減らすことが出来ます。

■<福島の人による子どもを守る取り組み>
 僕は保養プログラムの他、子どもたちに身近な生活環境での放射線測定も行っています。Hot Spot Findern の3点測定できる僕のセットは、密かに世界で一番の測定器だと思っています。これで子どもの背丈を考慮し、10cm、50cm、100cmの3点で詳細に測っています。
 校庭や公園は一度は除染が済んでおり、現在は住宅の敷地内と道路で除染作業が展開されています。ただし、公園内でも局所的に高い線量が見つかったりします。河原、森や林の中、山はほとんど手つかずです。ちなみに僕の自宅も手抜き除染だったのでやり直してもらうところです。この事業体が請け負った一帯での再チェックが始まるので大変でしょう。
 最近、かなりショックだったのは、せっかく追加除染してもらった通学路で線量が思うように下がっていなかったことです。特に、側溝の中を洗浄除染したもらったにも関わらず線量が下がらないことは重大です。セシウム137の影響を考えるに、今後、自然に線量が下がるまでには相当長い時間がかかります。子どもたちは毎日、その通学路を通いながら外部被ばくを受け続けます。ほこりを吸い込むことで、内部被ばくにつながらないかも心配です。
 汚染状況の推移は、残念ながら一般には知られていません。むしろ、もう済んだことにしたいというのが住民の本音です。正直、みんな疲れてしまいましたし、今更避難出来ない以上、毎日、線量について悩んでいたら気が違ってしまいます。いっそのこと、知らない方がましという訳です。しかし一方で、人質にされているのが子どもたちの健康だと考えると、僕がまだ家族の避難先に合流できないのも、こうして残っている大多数の子どもたちに申し訳ないからです。保養プログラムがあることは、命綱とも言えることなんだろうと思います。取り組みが終わった時、なにか取り返しのつかない大事なことが終わるのではないかと、だからこそ、ここに住む保護者が自分たちで立ちあがる必要があるのだと思うわけです。
 皆さんにご負担いただく時期は過ぎたと考え、奮起する保護者が現れることを期待したいです。