「テロとの戦い」、日本の行方


 森達也さん(映画監督・作家)がこんなことを書いていた。(2.11 朝日新聞
 <安倍首相は事件について語るとき、まずは「卑怯な行為だ、絶対に許せない」などと言う。国会で質問に立つ野党議員も、いかにテロが卑劣か、許せないかを、枕詞のように述べる。そんなことは大前提です。でも省略できない。
 オウム真理教による地下鉄サリン事件の時も、オウムについて語る際には、まずは「卑劣な殺人集団だ、許せない」などと宣言しなければ話ができない、そんな空気がありました。>
 ぼくも国会中継を見ていて、首相や議員たちが発言の冒頭に言うあいさつ的共通句になんだか空々しい違和感を覚えた。それをまず言わないと、自分の立ち位置が安定しないのか、だからこのことではみんなと同じだと宣言するのか。野党議員が政府に対して意見を言う時も、異端視されないようにするかのごとく、同様の防御線を敷いて本論に入っていく。もちろん枕詞的ではなく、本気でそう思っている人もいることだろうが。
 森さんはこうも書いている。
<大きな事件の後には、正義と邪悪の二分化が進む。だからこそ、自分は多くの人と同じ正義の側だとの前提を担保したい。‥‥今の日本の右傾化や保守化を指摘する人は多いけれど、僕から見れば少し違う。正しくは「集団化」です。集団つまり「群れ」。群れはイワシやカモを見ればわかるように、全員が同じ方向に動く。違う動きをする個体は排斥したくなる。そして共通の敵を求め始める。>
「正義と邪悪」を二分化して、自分は正義の側だとする。では何が正義で何が邪悪なのか、それは明確ではない。その最も重要な肝心なところがあいまいなままに、みんながそう断じているからそうだとしているような感じがある。YK、すなわち「空気を読む」のが常態化して、無意識ムードで同調する傾向は強い。まずはみんなの言うとおりにしておけば身は安全だ。
 そういう同調集団が、敵をつくりあげてバッシングをはじめると、数の勢いで思わぬ方向へ走りだす。在日の韓国人や中国人へのヘイトスピーチが拡大し、在日のイスラム教徒に向かい始める兆候がある。だからイスラム教徒の人たちは、まずは開口一番に「後藤さんの命を奪ったテロは許せません」と言う。過激派と同じように思われたくない。「こういうことになったのも、もとはと言えば日本にも原因があるのです」なんて口が裂けても言えない。言えば「反日」になる恐れがある。「テロを擁護するのか」「国へ帰れ」と攻撃されかねないから防御的になる。
 こうして防衛意識が高まった同調集団の日本国民を率いて、政府は「テロとの戦い」と称し、対決姿勢を鮮明にする。政策がそう動いている。
 「イスラム国」はそういう日本を標的にすると宣言した。憎悪と報復の連鎖が、抜き差しならない事態になる危険がやってくる。東京オリンピックは2020年である。
 東京オリンピックがどうして日本に決まったのかという理由について、内田樹は、「東京への招致活動が功を奏した」のではなく、「第一の理由はテロに対する安全性の高さです」と書いている(「街場の戦争論」)。候補のマドリードイスタンブールも「テロ」の危険率が高いが、東京は低かった。
<日本でテロのリスクがきわめて低いのは日本が海外の紛争に軍事介入してこなかったからです。軍事介入しなかったのは、日本国憲法第九条がそれを禁止していたからです。招致成功の最大の理由は「憲法九条」の効果です。でも、招致派の人たちは誰も憲法に対する感謝を口にしませんでした。それどころか、招致成功の理由に「自分たちのプレゼンがうまかったから」というようなばかばかしい理由を挙げた。ご存知の通り、安倍首相をはじめ招致派のほとんどが改憲派です。自分たちが否定している当の平和憲法から恩恵を受けながら、それをまるで自分ひとりの手柄であるかのような顔をして、招致の「成功」の勢いを借りて平和憲法を廃絶しようとしている。大恩ある日本国憲法に対するこの「忘恩」の態度に僕は我慢ならない。>
 湯川さん、後藤さんの事件が起こり、日本国民の意識が「反テロ」に染まりだすと、事態が悪化する。
 今回の「テロ事件」の最中に、「積極的平和主義」を唱える安倍首相は、イスラエル首相と会談し「テロとの戦い」を宣言した。フリージャーナリストの土井敏邦さんは危惧する。
 <私は去年夏、イスラエルが「テロの殲滅」を大義名分に猛攻撃をかけたガザ地区にいました。F16戦闘機や戦車など最先端の武器が投入され、2100人のパレスチナ人が殺されました。子どもが520人、女性が260人です。現地のパレスチナ人は私に「これは国家によるテロだ」と語りました。そのイスラエルの首相と「テロ対策」で連携する安倍首相と日本を、パレスチナ人などアラブの人たちはどう見るでしょうか。それは現場の空気に触れてはじめて実感できることです。‥‥
 後藤さんが本当に伝えたかったであろう、内戦に巻き込まれて苦しむシリアの女性や子ども、寒さと飢えに苦しむ何十万という避難民のことはどこかへ行ってしまった。>
 内田樹氏は、この事件の起こる数カ月前に次のように日本の国の行方を見ていた。
<今後、集団的自衛権を発動して、日本がイスラム圏でアメリカの軍事行動に帯同した場合、日本はイスラム過激派のテロの標的になるリスクを抱え込むことになります。そのことが高い確率で見通せるにもかかわらず、安倍首相とその周辺が前のめりに戦争にコミットしようとしているのはなぜか。半分は安倍首相という個人のパーソナリティに起因していると思います。「戦争がしたい」という個人的な理由があるのでしょう。‥‥そのような無意識的欲望が政策的に展開するのは、もっと実利的な理由があります。経済成長です。>
 かくして、しゃにむに経済成長をもとめて、現政権は動き始めていると、詳細な指摘を内田はしている。
 2月10日、安倍内閣ODA政策を転換し、他国軍への支援を非軍事の分野に解禁した。他国軍への物資、技術の直接提供は、軍事転用のおそれを高める。