日本とドイツ、戦後の変遷 <3> 

 20年前、戦後50年の節目に出版された「戦争責任・戦後責任 日本とドイツはどう違うか」(朝日選書)には、六人の学者・研究者の論考が収められていた。
 そのなかから一つの文章。
 「ドイツの地方裁判所が元ナチス親衛隊員・強制収容所所長シュヴァムベルガーに対して、半世紀前の殺人と大量殺人ほう助の罪で終身刑の判決を下した。1992年のことである。シュヴァムベルガーは、敗戦とともに国外逃亡し、アルゼンチンで養魚場を営んでいたが、87年捕らえられ、90年にドイツに送還され、裁判に付されていた。半世紀前の罪のために80歳の老人に終身刑が下されたのである。
 このように今日に至るまで厳しい追及がつづけられている背後には、『ナチス犯罪の時効を廃止し、永久に追及する』という79年の国会決議がある。西ドイツではニュルンベルグ国際軍事裁判だけでなく、自国の裁判所によって、これまでに9万人を超えるナチス関係者が裁判にかけられ、7000件近い有罪判決が下されている。これに対して、日本では、極東軍事裁判とBC級裁判、つまり他者による裁き以外に自らを裁いてこなかった。」(望田幸男)
 戦後のドイツ自身によるナチスへの追及は、地球の果てまでも追いつづける執念で行なわれてきた。さらにイスラエルと交渉して、ユダヤ人被害者への補償を行ない、加えて、人種・信仰・世界観、政治活動、ナチズムへの抵抗運動などの理由で迫害を受けた人々に対して、補償がなされた。さらに、ヨーロッパ12カ国のナチス犠牲者への補償金も支払われた。1990年までにその総額は864億2700万マルクが支出されたという。補償はその後も、さらにロシア、ベラルーシウクライナなどに広げられている。
 「二つの現代史――歴史の新たな転換点に立って」(山口定)の論考には次のような文章がある。
 「『戦後責任』という言葉がある。それは、戦後も50年近く経過したのに、日本は、その間にかつての第二次大戦の、とりわけ近隣のアジア諸国への侵略行為の責任に関して、謝罪と贖罪を今なお十分に果たしていないし、そのことについては、戦争遂行者の世代ばかりでなく戦後の時代を担った世代にも責任があるのではないかという意味である。」
 日本の若い者たちは、「おじいさんたちがやったことの責任を自分たちが負わなければならないの?」ということだが、これまで戦後戦争責任に対してやらなければならなかったことをやってこなかったためであり、それは年月がたっても風化することなく、ますます難しい事態をもたらすだろう。実際に、日中、日韓の関係はこじれ、不信、対抗の方向に進んでいる。20年前にすでに山口定氏は『未来責任』という考え方を主張していたのである。
 「戦争責任問題は、今や、われわれはいかにして戦争と侵略と人権抑圧のない世界を築きうるかという『未来責任』問題の一環として」取り組んでいくしかない時代に突入した。
 これからの戦争責任論は、ナショナリズムの論理から解放され、国境や国籍を超えた『人間としての権利』という理論に依拠するほかはない。この『未来責任』論は、過去の責任問題を棚上げにしたり『洗い流し』たりして曖昧にするための口実となってはならない。」
 ドイツとポーランドの間および日本と韓国との間で、歴史教科書を交流し考えるシンポジウムが行なわれ、山口氏は、そこに参加していた韓国の学者、李奎浩氏の二つの言葉が心の底に響いたと書いている。その言葉は、
 「人間は自らの過去の罪悪を反省するときにその霊魂が輝くように、一つの民族においても過去の過ちを清算するときにだけ明日の平和が輝くと思われる。」
 「もしわれわれが歴史に背を向けたら、われわれの未来は危うくなる。閉鎖的な民族主義は非時代的であり、われわれがどのような未来の世界秩序に向けた歴史を見据えるかが大事なのである。」
という主張だった。この李氏の意見について、山口氏は書いている。
 「李氏のこの言葉は、一方で日本側に対して、ことがらは民族の品位にかかわる問題であることを訴えると同時に、他方では韓国の人々に対してほんとうに責任のある立場というのは、過去のことに関して、ただ激しく追及すればいいということではなくて、これからどういう未来を創っていくのかということの関係づけのなかで、問題を取り上げる必要があり、そうでなければ、それは新たな不毛な対立の再生につながりかねないということを指摘したものであった。」
 それから20年たって、予測された危惧はあたった。関係は悪いほうへと進展してきたのである。
 「このままで行けば、日本の次の世代が特別の負担を負い続けることも間違いない。」
 山口氏はこう予言した。20年前の予言どおり、現政権はさらに危ない道を歩もうとしている。来年は戦後70年になる。有権者の半数近くが投票をしなかった衆議院選挙によって議員になった政権与党の人たちは大手を振って国を動かす。社会にはヘイトスピーチを叫ぶ人がうごめき、ネットでは好戦的な意見が飛び交う。自民党議員がネオナチと写真を撮っている。
 これが日本の戦後70年なのだ。