祭、お花見

昨夜は村の鎮守の宵宮だった。日本語教室に来ている外国人に、日本の文化を知ってもらうため、祭参観を教師たちで企画した。ベトナム人の実習生が3人、日本人と結婚した中国人の奥さんが3人、そして幼児3人に、日本人の教師が4人。
ぼくはこの地に来て8年になるが、初めて見る宵宮だった。今住んでいる居住区には昔は鎮守の社があったが、それがなくなって下の部落にある神社が共通の鎮守になり、その間を広域農道が貫通したため、よその地区の神社のような距離感が生まれた。だから神社にも祭にもなじまず、祭は閑散としたものではないかと予想していた。「だんじり」、あるいは「だし」と呼ばれる祭りの屋台を引く若者、子どもがいないから、地区を練り歩くこともできず、祭は閑古鳥が鳴いているのではないかと。
ところが昨日行ってみて、思いのほかの印象を受けた。のぼりが高々と上がり、灯篭に灯りがともっている。出店が10軒ほどある。中学生、高校生らの若い子らが、100人は超えて、幽玄な雰囲気の中で歩き回ったり話し合ったりしている。飾られた祭りの屋台がでんと拝殿の前に置かれている。こんなに若い子らがここに集っているということを知って、ぼくのなかに新たな模索ができるという思いが湧いた。

そして日曜日の昼、今日は日本語教室の花見だった。場所は拾ヶ堰(じっかせぎ)の中堀地区から東の桜並木だった。拾ヶ堰は、安曇野を流れる灌漑用に作られた用水路(堰)だ。水は、奈良井川松本市島内)から取水し、梓川を横断し、安曇野を曲がりくねりながら、田園地帯に農業用水を行き渡らせている。最後は烏川(安曇野市穂高)に至る約15kmの用水路である。安曇野は、扇状地であるため地下に水がしみ込んでしまう。そのため安曇野は古くから農業用水に恵まれず、柏原村、吉野村の庄屋などが拾ヶ堰の開削を計画した。
花見の場所は、桜が満開、そして水路の水はとうとうと流れている。等高線にそって、蛇行して川は掘られ、一見すると川の水が山のほうへ流れていくように見える。
桜の花の下で、おしゃべりをして、お弁当を食べた。