日本語教室の花見


 花見に行こう、と日本語教室に来ている外国人たちと決めていた。どこか花見のできるところへ行って、桜を愛で、楽しんでもらおうということで行き先を探したが、いくつか桜のきれいな所はあるものの、ここぞというところが安曇野に見当たらない。教室スタッフの一志さんの提案で、決めた場所は大町の山岳博物館近辺の桜だった。土曜日の午後1時半公民館に集合、スタッフの乗用車に分乗して出かける、計画はそういうことになった。大町の山岳博物館というのは、ぼくは昔から知ってはいるが行ったことがない。その周辺に見事な桜並木があるらしい。それを提案した一志さんはもともと東北出身で、結婚して安曇野に来た。だから地元の人よりも好奇心、探究心が強く、あちこち出かけるから桜のことでも情報通になっている。
 この計画を先々週の日曜日、教室で伝えると、ベトナム人実習生のルアンは、土曜日の仕事が何時に終わるかわからない、計画の二日前の木曜日には分かるから返事するということだった。農業実習生の彼らはきのこの栽培をしていて、生産と出荷はその時々で流動する。
 木曜日、ルアンからインターネットにメールが入った。
「3時はどうですか」
 やっぱり仕事は終わらないのか、社長に頼みなさいと言っておいたのだが、でも3時ならなんとかなる、大町は時間が足りないからやめて、近場にしよう、ということで、計画は3時集合に変更し、全員への連絡を高橋さんにしてもらった。
 土曜日、3時に公民館へ行った。やってきたのはベトナム青年5人、中国人のお母さんと子どもたちの3人、そしてスタッフ4人。変更した近場の花見のコースは既に一志さんと高橋さんで決めていた。まず拾カ堰の桜を見に行く。3台の車に分乗してゆったり流れる水路沿いに行くと、鴨が泳いでいる。「カモ、カモ」とベトナム青年たちは叫ぶ。サイクリングロードの拠点になっている場所の桜は満開、しだれ柳の芽ぶきが風になびいて、柔らかい緑の葉と桜の花がいかにも今の季節のものだった。拾カ堰水路のみなもの上に残雪の常念岳がそびえている。
 次は南部運動公園へ行った。広い運動場に家族連れやスポーツをする人たちが来ていたが、ほとんど公園東北隅につくられた子どもの遊び広場に集まっていて、広い芝生広場はがらんと人なしだった。ルアンやホップたちは、このごろサッカーを近くの公園でやっているから、ボールを持ってくればよかったなあ、ちょっと残念だった。マナミちゃんとツトム君のお母さんは中国人、二人はお母さんから離れて、夢中で子ども広場で遊んだ。ホップたちはこの幼児たちがかわいくて仕方がない。抱っこしたりしている姿はお兄ちゃんそのものだ。マナミちゃんはアスレチックのぶらさがりロープウェイが気に入って何度も何度もチャレンジしている。ツトムくんは、くぐりぬけ、よじのぼり、砂場で遊び、遊びに没頭している。

 最後に行ったのは、古い酒蔵を改造して、手作り「かりんとう」の販売と喫茶をやっている店だった。舟形の古民家のたたずまいは味がある。夕方になり風も冷たくなっていたが、全員が中庭のテーブルに座って、飲み物とケーキのセットを注文した。ホップ君が、キャノンの高級カメラを持ってきていた。訊くと、中古のカメラで、10万円で買ったという。
「えーっ? 10万?」
「はい、10万円。ほんとだよ」
「わたしのカメラ、6000円だよ」
 ぼくのカメラは安物カメラ、それでも結構写るし、このブログの写真になっている。ホップは、よくまあ、そんな大金を出したものだ。彼は今年9月に祖国に帰る。このカメラを持って帰れば、ベトナムでは宝物になるというわけだ。

 5時半、閉店時間。みんなで席を立って帰りかけると、最後に店から出てきた一志さんが、
「お店の、かりんとうを焼いていた人が、おみやげにと言って、かりんとう、くれましたよ」
と言って、ポリ袋にどっさり入ったかりんとうの小袋をみんなに見せた。全員12人分、それ以上のおみやげだ。
「遠いところから、よく来てくれました、とおじさん、言ってましたよ」
 と一志さん。彼ら、ベトナム語で会話していたから、おじさんはそう思ったんだ。売れ残ったかりんとうを全部プレゼントしてくれた、かりんと焼きの職人さん。
 店の門を出たところで、ぼくらが座っていた中庭を見ると、おじさんがテーブルの上を片付けていた。その姿を見て、みんな思わず声が出た。
「ありがとうございまーす」
 おじさんはこちらを見て手を振った。ぼくらも手を振った。
 翌日、ひらめいた。今晩の日本語教室であの「桜」の歌を歌いたい、歌おう。森山直太郎「桜」を。日中技能者交流センター研修所では、研修生と歌い継いできた歌、閉講式で研修生が涙を流して歌った歌。
 歌詞のプリントと録音テープはどこにあるかなあ、どこかに紛れ込んだのを探すと歌詞は見つかったが録音は見当たらない。スタッフに電話しても持っていない。すると一志さんから、インターネットからダウンロードしたよ、という電話が来て、安堵した。
 午後から雨になった。雨になると自転車で来る実習生は休んでしまうかもしれない。

 午後7時、公民館にはまだ生徒は来ていない。歌詞を職員に20部印刷してもらい、スタッフ5人で、一志さんの録音CDを流して歌ってみた。そこへト―君とホップ君が来た。部屋に入ってくるなり、みんなの歌うのを聞いてトー君は「桜」を口ずさんでいる。トー君は、この歌をよく知っていた。彼は、外国人スピーチ大会でも、「桜」をテーマに話をした。この6月に帰国する彼にとって、実習生生活3年間の心に残る花は桜だったというスピーチ。トー君も知っていた。彼は、ベトナム語に翻訳したい、ベトナムでも歌いたい、と言う。
 みんなで繰り返し歌う。覚えようね。そこへ中国人のマトウさんが来た。練習の途中、一志さんのCDとは異なる伴奏の「桜」が鳴りだした。あれ、どうしたの。曲はマトウさんのところから聞こえてくる。なんとまあ、マトウさんは「桜」スマホに入れていたのだった。彼女もこの歌が好きだった。
 来週も練習しよう。しっかり覚えて、彼ら国で生きる日々、この歌が慰めや励ましになるように、体の中にしっかり根付かせよう。
 「どんなに苦しい時も きみは笑っているから くじけそうになりかけても がんばれる気がしたよ‥‥ 今なら言えるだろうか 偽りのない言葉 かがやける君の未来を願う 本当の言葉‥‥ 友よ また この場所で会おう 桜舞い散る道の上で」