日本とドイツ、戦後の変遷 <2>

 なんだか雲行きが怪しいと思う。この予感はなんだろう。アベノミクスは経済経済と連呼する。だが、その底を流れているものがある。もっと異質なもの、この国の何かが変質し始めている予感的なもの。
 ぼくが「予感」という言葉に出会ったのは中学生のときだったか、話の筋は忘れてしまったが、本の中で出会ったその「予感」というものが、ある意味確かに到来するものとしての不気味さをはらんだ言葉であり、そういう未来を感じ取ることが人間にはあるということだった。ぼくの記憶の中に意味を帯びた「予感」はしまいこまれた。それから読み物のなかで、死を予感して死を迎える場所へ行く象の話やネコの話なども読んだ。1980年ごろ、新聞の論壇で、大学の教授だったように思うが、ソビエト連邦を分析してその崩壊の予感を書いている人がいた。その人は10年後ぐらいには崩壊すると時期まで予測していた。ぼくはその記事を切り抜いて保管していたのだが、そのうち失ってしまった。しかしその記事の予測は記憶のなかにあり、実際にそれが到来したのだ。1991年12月25日、なんと10年後に世界を二分してきた巨大国家ソビエト連邦は崩壊を迎えたのだ。ぼくはその学者の先見の明に瞠目した。
 そういう予測は、前兆があり、原因になるものを分析した結果の予測である。それとは別に、なんとなくそう感じるという、論理を超えた漂う「気」のようなもので未来を感じることがある。「気」というものは、有るとも無いともよく分からないが、「気」を感じる人はいる。
 昨日、本屋で「街場の戦争論内田樹」(ミシマ社)を買ってきて読み始めている。冒頭から、予感に類する内田樹の序論が出てきた。私たちは東日本大震災福島原発事故破局を体験した。次にもっと大きな破局がやってくるのではないか、その前兆を内田は感じているというのだ。
 「ぼくたちがいるのは、二つの戦争、つまり『負けた先の戦争』と『これから起こる次の戦争』にはさまれた戦争間期ではないか。これがぼくの偽らざる実感です。今の時代の空気は『戦争間期』に固有のものではないのか。その軽薄さも、その無力感の深さも、その無責任さも、その暴力性も、いずれも二つの戦争の間に宙づりになった日本という枠組みのなかに置いてみると、なんとなく納得できるような気がする。」
そこで内田は考える。
 それを回避するためには、せめてそれが「何であるか」を予測するためには、どうして先の戦争に日本はあんな負け方をしたのか、敗戦を日本人は戦後七十年間かけてどう総括したのか、それについての自分なりの回答を出さなければならないということをひしひしと感じ始めたという。
 「そういう焦燥感を実際に感じています。そんなこと、ぼくは生まれてから今日まで一度も感じたことがありませんでした。でも、今は感じている。気がつくと毎日戦争のことばかり考えています。」
 序論で内田はこんなことを書いて、次の第一章のなかで、「戦艦大和ノ最期」を書いた吉田満の言葉を紹介している。吉田満戦艦大和に乗り組み、九死に一生を得た士官だった。戦後32年のときに吉田はこんなことを述べている。
 「戦争が終わったときに、大事なことがかけていて、それをそのまま何も手をつけずにね。その欠落したものは、やっぱりいつかは必ずもう一度ですね、問い直さなければならないときがあるんじゃないかということが、どこかにわだかまりとして残っていましてね。しかし、なかなかそれを的確に、こうだと言うことができないし、言うだけの用意がない。そういうことで、かなり長いこと沈黙してきた感じがあると思うんです。私どもの世代は‥‥
 それはほんとうにあの時、戦中から戦後にかけて、日本人が苦しんだ、何のために、何を願って苦しんだのか、ということですね。あの時、終戦の混乱の中でいっぺんに、いろんなことが全部捨てられた。日本人は世界の中でどう生きるのか、どんな役割を果たそうとするのか。そんな問題も、いっさい棚上げされてしまった。なにかそこに重大な欠落があったんじゃないかという感じが、三十数年間続いているということなんです。」(「新編 特攻体験と戦後」)
 内田はそれから37年後に、この吉田の文章を読んで、異様なリアリティをもってこの言葉は切迫してくる、という。そして内田はこう書いている。
 「ほんとうにそうだと、とぼくは思うのです。あの敗戦で日本人は何を失ったのか、それを問わずに来たせいで、ぼくたちの国は今『こんなふうに』なっている。戦争から何も学んでいない人たちが、もう一度日本が戦争のできるような仕組みに、この国を作り変えるために必死になっている。それに喝采を送っている人たちが少なからずいる。戦争からぼくたちは何も学ばなかった。『戦争はいやだ』というような生理的な嫌悪感はあったでしょうけれど、皮膚感覚だけでは、日本が『国として失ったもの』が何であるかを理性的な言葉で語ることはできない。失ったことを自覚できなければ、それから後も今も失い続けているものが何であるか語ることもできない。」
 そして内田は言う。
 「ぼくたちはほんとうの意味で、戦争を終わらせることができない」と。(つづく)