コウモリの侵入



 昨夜、工房の室内を、コウモリが一羽飛んでいるのを目撃した。初めての実物の確認だった。
 工房の中にコウモリが入っていることは一昨年から分かっていて、糞が落ちているのを発見したし、干からびた死骸も何度か見つけた。
 昨年ドクダミの花の咲くころ、庭のドクダミを摘んで、工房の中に広げて乾かしていた。乾燥したらドクダミ茶にするためだった。適度に乾燥したので、お茶にしようと袋につめて保存した。そのお茶を使おうとしたときに、ドクダミの焦げ茶色の葉っぱに交じって、コウモリの乾燥した死骸がころりと出てきた。いやだー、家内はこのことがあって家で作るドクダミ茶を飲めなくなった。コウモリは、工房の中に入って飛び回っていたが、食べるものがなくなって乾してあるドクダミの葉の上に落ちて死んでしまったのだ。干からびたコウモリの体は小さく、大人の親指を一回り大きくした程度だ。それが乾燥した葉っぱに交じると見分けがつかなかった。
 コウモリはいったいどこから工房に入ってくるのか。工房は夕方には窓を閉め、昼間は網戸になっている。だから窓以外から侵入しているようだ。工房は、小屋組みが露出し天井はなく、屋根の室内側を板張りにしてあるから、屋根と壁面との間のどこかにコウモリの侵入できる隙間があるのではないか。
 ぼくは室内にはしごを持ち込んで、アクロバットよろしく梁の上を伝ってコウモリの入ってきそうな穴を探し、すき間というすき間全部を木切れでふさいだ。探していくと梁と屋根との間の見えないところに思いのほか隙間がある。2、3センチほどのすき間でも、コウモリの頭が通り抜けることができれば、屋根の中に潜り込んで入ってくるのではないかとコウモリの生態が少し見えてきた。
 このことがあって、ほぼ隙間を埋めることができ、もう侵入してこないだろうし、冬の寒気の進入を防ぐことにもなる、まずはこれで一件落着だと、安堵した。
 ところが、この夏、また糞が落ちている。糞はネズミの糞の半分ほどの大きさ、細長く小さい。
 いったいどこから、どうやって侵入してくるのだ。
 そこで、夕方暗くなってから、工房の暗がりの中に座って様子を伺うことにした。すると、屋根の一部で、かすかに音がする。小鳥かネズミか、なにか小動物がいるらしい音だ。ときどきブルルという振動音も入る。羽を震わす音のようでもある。しかしその時は姿を現さなかった。
 そして、とうとう飛んでいるところを目撃ということになったのが昨夜だった。家内が、コウモリが飛んでいると報告してきた。驚いて、忍び足で工房に入ると、薄暗がりの室内を黒いものが音もなく飛び回っている。決定的な実物の確認だった。
 これはもう放っておけない。
 家内は入り口を開けている時に、入ってくるのではないか、と言うが、明るいときに飛んでくるというのは考えられない。まだどこかに侵入口があるのではないか。今朝の一仕事はそれだった。はしごを持ち込み、梁に立てかけ、調べると、一箇所ほんの少しすき間があるのが見つかった。どう考えてもそんな隙間から入ってくるとは考えられないのだが、そこ以外に入り口がないから、そこをふさいで夜になってから様子を見ることにした。

 午後、ぼくの加わっている地元の村の合唱団が、デイサービスセンターで歌を歌うことになっていたから出かけた。デイサービスに来ていた25人の高齢者のみなさんと一緒に歌い、ぼくらの歌を聴いてもらう。コーラスの会のメンバーも高齢者だから、高齢者が高齢者に歌う。
 ひとときデイサービスの人たちと過ごし、一緒にお茶を飲んだ。そのとき、なんとなく、ここに来ている人たちは楽しいのかなという気持ちが湧いた。みんな無口で、会話が少なく、表情もないようにも思う。こういう施設に来る人たちは、受身の人たちで、お風呂に入り食事をし、お世話してもらって一日を過ごし帰っていくのだろう。それにしても、和気あいあいと、将棋したり、囲碁をしたり、庭を散歩したりということはないのだろうか、という疑問が湧いた。
 介護度の高い人たちは、もうその段階を過ぎてしまっているのかもしれない。
 庭を散歩したり、と思ったとき、ここには散歩を楽しむ庭園も林もないことに気づいた。だから一日部屋の中で過ごして家に帰っていく。
 ぼくの問題意識のひとつがまた刺激された。

 夜になって工房に行ってみた。今夜はコウモリの姿はなかった。とうとう侵入を防ぐことに成功したのか、もう少し観察が必要だ。