孫たちと暮らすお盆

 お盆に二家族の孫たちが帰ってきて、朝の散歩は、ランを連れて、3人の孫と出かける。来年小学生に上がる女の子、ホノちゃんとアーちゃん二人と、小学2年生のセイちゃん男の子。
 セイちゃんは朝5時に眼を覚まして、出かけるのを待っている。
 散歩途中で秀武さんがゴールデンレトリバーのカイちゃんを連れてやってきて一緒になった。田んぼの中の道を歩く。秀武さんは、孫たちに声をかけて、うれしそうな笑顔になった。歩きながら、蝶ヶ岳から大滝山へのコースのこと、稲の成育の話、松本一本ネギの育て方、無人ヘリコプターによる農薬散布、雑木林の消えたことなどについて話しあった。
 途中で秀武さんと分かれて、カブトムシやクワガタがいるかもしれない小さな三角地帯の雑木林に行った。ナラやクヌギが10本ほどある。探してみたが、一匹も見つからなかった。セイちゃんは、もう1時間早かったら見つかったかもと言った。
 それにしても雑木林はここしかないという寂しさ。秀武さんは、子どものころは、今田んぼになっているところに一面の雑木林があって、クヌギが生えていたと言った。今は雑木林の消えた安曇野だ。
 子どもたちは、公園の遊具には興味がある。散歩コースに一箇所、神社のなかに遊具が置かれているところがある。ここにはシーソーとブランコ、雲梯がある。もう一箇所、公民館の敷地内に、滑り台や上り棒、金属製の鎖を網目にしてぶら下げてある遊具がある。都会に暮らす孫たちは、遊具のあるところに来ると、目を輝かせて飛んでいった。シーソーで遊び、いろんなブランコ乗りをした。座りこぎ、立ちこぎ、片足こぎ、立ちこぎから座りこぎに移るなど、へえー、いろんな遊び方があるものだ、さすが都会の子どもだと感心した。
 鉄製の遊具で、球形になっていて、球の中に入ると、誰かが球の外から球の一部をもってぐるぐる回す遊具がある。名前が分からない。孫たちが中にはいり、じいじのぼくがぐるぐる回す役をおおせつかった。3人の子どもが中に入る。回すのも力が要る。重い球をぐるぐる、はあはあ、ぐるぐる、はあはあ、息がはずんだ。
 山がある、川が流れている。自然はいっぱいと思いがち、けれど子どもたちは虫捕りしようにも虫は見つからない。木登りする木はない。
 

14日は午前10時から、地元自治会の体育会と子ども会主催で「マスつかみ」があった。毎年恒例の子どものイベントだ。40人ほどの子どもが集まった。孫たちも参加した。
 新堀堰の一部を囲いして、水をひざ下に減らし、そこに業者がマスをトラックで運んできて放流する。子どもたちは水路に入って、マスを手づかみする。幼児には、小さなビニールプールにマスを入れ、そこでマスをつかむ。
 250匹のマス、1時間ほどで終わった。セイちゃんはマスをつかむことができなかった。マスを隅に追い込み、すばやく両手でつかむという野性はセイちゃんには無理だった。アーちゃんとホノちゃんはプールで10匹ほどつかんだ。
 農業用水路は、三面コンクリート、壁面の高さは人間の大人の背丈以上ある。およそ自然の川の趣はない。昔は自然の川でマスつかみをしたということを聴いている。その烏川渓谷まで距離があるから、今の『マスつかみ』は水路になったということだ。
 養老孟司が、以前こんなことを語っていた。
 「かつては世界の半分は自然、人間の接する世界が半分だった。今は世界の半分の自然が消え、人間の関係だけになっている。中学生の時にいじめられた記憶を25歳になって書いた『十四歳の私が書いた遺書』という本を読んだ。そこには自然が全く出てこない。すべて先生が何と言った、友だちが何と言った、親が何と言った、だれの態度がどうだと、すべては人間の世界だった。かつての子どもだった私は、山を歩き林に入り、自然の中へ入った。そこが解毒剤になっていた。」