「ムラ社会」 <2>

 昨夜、8人で話し合った。この国の、この地方自治体の、どこまでも続く「ムラ社会」の姿がテーマだった。
 議会を支配する同調主義。ボス化する「長」。「長」は、権力を手に入れたと錯覚し、他者を同調させようとする。その力を見て、「長」にすりより従っていく議員。
 権力を振りかざすものは、同調をこばむ者を許せない。それでも、自立した人間は同調を拒否し、ムラのなかの異端者となる。そしてこれまで行われてきた不正をあばく。あばけば、仲間を売るのか、「ムラ」の団結を破壊するのか、内緒ごとを外に漏らすのか、と少数の改革者の「異端」を排撃しようとする。
 改革者は、非は非、是は是として批判し批判を受け入れ、そこからあるべき議員集団としてのモラルと思想を構築すべきだと考える。
 だが「ムラ社会」を批判する少数改革者を認めない状況が進んでいる。いくつかの疑義が明らかになりつつある。
 議員の寄付行為が禁止されているにもかかわらず陣中見舞いと称することが行われていた件、政務活動費で団体研修旅行を行った会派の虚偽、市民に開かれた議会にしていくための市民との意見交流を封じ込めようとする圧力、市民の議員批判を議員に対する侮辱だと発言した議長、議員を批判した市民を「動員された市民」として非難した議員。
とうとう少数派、議会改革委員会の委員長は、「ムラ社会」のなかで批判され、精神的な打撃を加えられた。委員長は辞任した。
 ここから何が見えてくるか。これらの問題を追究していけば、はっきりしてくるだろう。

 金子勝(経済学者)が、かつて書いていた。
 「日本社会の行き詰まりの根底には、同調を強制しようとする社会体質がある。」
 「肝心な情報は一切公開されないまま、何事も一部の権力者たちが密室で決めてゆく。」
 「悪いのは常に『皆』であり、誰も責任をとらない。」
 「社会には複数の思考を許容する多元的民主主義が必要なのだ。もし日本が成熟した社会ならば、複数の意見を保って闘わせながら、健全な民主主義的手続きによって、この社会が抱えている制約条件を一つ一つ着実に解決していけるだろう。しかし、日本はそういう意味での成熟した民主主義社会であるようには思えない。」 (「日本再生論」NHKブックス


 一つの文章に出会う。

 アイヒマンについて、金子勝が、書いていた。アイヒマンは、ナチス・ドイツの、ユダヤ強制移住・絶滅プランを担当した人物である。

「(ハンナ・アーレントの『イェルサレムアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』を読むと、
 アイヒマンは、アウシュビッツ強制収容所の大虐殺を審理する裁判において、検察側が主張するような倒錯したサディストではなく、実に多くの人びとが彼に似ており、恐ろしいほど正常だった。アイヒマンは、『ちっぽけな歯車』でしかなかったという弁護側の主張も、『事実上の原動力だった』という検察側の主張もどちらもハンナ・アーレントは退けた。アイヒマンは無思想性ゆえに、自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかには、彼には何の動機もなかった。想像力の欠如によって、彼は自分のしていることがどういうことか全然わかっていなかった。
 アーレントアウシュビッツの大虐殺をみて行き着いたのは、ごく当たり前の『悪の陳腐さ』だった。誰でもアイヒマンになりうるのだ。
 私たちの前に、重い問いが立ちはだかっている。史上最悪の環境汚染に襲われ、今なお13万から14万人の人が故郷を失いかけている福島を、なぜ私たちは忘れてはいけないのか。他者について考えることをやめ、自らの周りのごく当たり前のことを繰り返す『陳腐な悪』に染まったら、内なるファシズムに負けてしまう。自分に何ができるか、考え抜いてください。」