ムラ社会 <1>

 十数年前、奈良の金剛山麓に移り住んだときのこと、そこは歴史をたどれば飛鳥の時代までさかのぼるような古い村だった。
 移り住んですぐに市議会議員選挙があった。地区から一人立候補者が出た。ぼくにはどんな人なのかさっぱり分からなかった。地区から代表として誰かを議員に出しておく必要があったのだろう。地区の顔であった。選挙運動が始まって二、三日した日、一升瓶を持った地区の人がやってきて、よろしく頼むと言って酒を置いていった。これを受け取るわけにはいかないと思いはしたが、それを断ると、これからそこで生活をする自分に対して風当たりがどうなるか、住みづらくなりはしないかという危惧が湧き、きっぱり断ることができなかった。そんなことで投票は左右されない、酒は勝手においていったんだ、と消極的な考えでそのことを流してしまったのだが、後々、この時の自分の弱さ、あいまいさを思い起こして、「ムラ社会」の中での生き方を考えることがあった。
 「ムラ社会」という言葉を、この安曇野でも聞く。「ムラ社会」という言葉は、「有力者がいて、力関係があり、しきたりを重視する排他的な集団。集団の意向や決まりに背くと制裁がある閉鎖的な組織・社会」の意味で使われる。
 「安曇野市議会は、ムラ社会だ」という嘆きが聞こえた。
 市議会議員団は25名の集団である。
 5月に議会報告会が開催され、ぼくもそこに参加した。そのとき参加していた市民のなかから、市議会議員への注文が出た。「日ごろの議員の議会活動を見ていると、勉強が不足している、もっとしっかり勉強してほしい」、簡単に言えばそういう思いをその市民は意見として述べた。それに対して、市議会議長は、「議員を侮辱した」と反論した。議員はしっかり勉強している、それなのにそういう批判をするとはなにごとか、と市民に矛先を向けたのだった。参加していた市民たちからブーイングが湧き起こった。「侮辱したとはなにごとか」「その発言を撤回しろ」、怒りの声だった。押された市議会議長は、撤回はしたものの、お詫びの言葉はなかった。
 かねがね議会や議員に不信感を持っている人は多い。安曇野市の歴史をたどってみてみても、なんとも「こんなことが許されるのか」と思えるようなことがある。それはまさに「ムラ社会」と思えるものだ。
 さて、この一件、その後どうなったか。
 どうも矛先は議会改革推進委員長のK議員へ向いていったようなのだ。会派に所属していないK議員は、長年議会改革に献身的にとりくんできたことを私は知っており、彼女に敬意を抱いている。
 議員たちは、「議会報告会に参加した市民たちはK議員に動員されたものたちであった」と、非難の矛先を向けた。その事実を知ったとき、ぼくは安曇野市議会はとうとう実態をあらわにしたか、と思った。「ムラ社会」ならありそうなことだと思う。
 そこへもってきて、議員の差し入れ問題や議員の政務活動費の虚偽報告などの問題がでてきて、市民からの公開質問状も出されてきた。議長は、公開質問状の手引きをしたのはKだと、言いがかりをつけているらしい。
 議会の体制派による「動員」という批判、「動員」というのはどういうものか。私もかつて所属していた労働組合ではよく行われた。一つの方向にことをすすめるために、構成員に対して指示を出して、行動に参加させた。革新政党もよく使う。では、この議会報告会に参加した市民たちは、動員されたものたちなのか。いったい誰からどのように指示されたのか。議員の支持者たちのなかに、動員が行われるような組織が存在するのか。議会改革推進委員会のなかで委員から「動員はかけないということを確認したにも関わらず、動員をかけた」という内容の発言があったらしい。
 私は動員されて、参加したのか。
 「侮辱」というなら、このような議員の言動のほうこそ市民を侮辱している。私は、自らの意志で自発的に、議会をもっと民主的なものにしなければという思いで参加した。ただそれだけである。
 小中学校の「いじめ」のようなことが議会のなかで行われ、上から目線で、市民を見下して非難する。
 議会の実態を市民は知らねばならない。もっとよく知って糾していかねばならないと思う。