一冊の本「黄泉の犬」<2>


 赤穂浪士の討ち入りのように、敵討(かたきう)ちという復讐があった。江戸時代には100件ほどあったというが、隠れた個人的な復讐はそんな数ではなかったと思う。明治時代になって1870年に復讐禁止令が出されたが、怨念を晴らしたいという私情が行為に現されることは、人間社会から消えることがなかった。民族的、宗教的、国家的規模で起こっている戦争は、繰り返されている。

 「黄泉の犬」(藤原新也)のなかで、オウム真理教の麻原(松本智津夫)は水俣病によって眼の障害をもつにいたり、それゆえ彼のなかに復讐の念がきざしたのではないかという推理で、作者が取材したときの描写が出てくる。麻原の兄もまた眼の障害があって、視力を奪われていた。
 家族の誰かが罪を犯すと、その家族は世間から孤立し、よそへ逃避しなければならなくなることはよくある。麻原の兄は、オウム事件が起こると、世間からの厳しいバッシングを避けて、行方をくらました。藤原はその兄を探し出して、弟・智津夫の目のことを聞こうと思う。偶然のことから藤原新也は兄の居場所をつかみ、直接会うことができた。
 その時の対話が書かれている。

      ☆    ☆    ☆

 「満弘さん(兄)のそのお眼のことなんですが、それは生まれもったものだったのでしょうか」
 「‥‥見えとった」
 「弟の智津夫さんの場合はどうなんでしょう」
 「あいつもこまかころは見えとった。いや今でも見えるやろ、ちっとはな」
 「智津夫さんは視野狭窄と、うかがっております。私は以前八代を訪れたことがあります。‥‥不知火海も見てきました」
 「よか海やろう」
 「眼と鼻の先にあの水俣がありますよね」
 ‥‥
 「智津夫さんは、目が不自由になられて盲学校に入られましたよね」
 「ワシが入れた。普通の学校じゃ埒があかんからのう」
 「その盲学校には、水俣で水銀にやられ、視野狭窄をわずらった子たちがたくさん入っていたでしょね」
 「‥‥そうや」
 ‥‥
 「弟の智津夫さんの目の疾病は水俣の水銀のせいじゃないのかって。そんなふうに想像してしまったんです‥‥」
 ‥‥沈黙が時を刻む。
 「フジワラさん、ようそこにお気づきになったなあ。‥‥智津夫がこまかころ、ちょうど水銀がいちばん海を汚しとった時期や。‥‥智津夫は兄弟の誰よりも魚介類が好きな食欲旺盛な子での。ワシの釣ってきた魚やシャコをあいつがいつもいちばんよけいに食っとた。‥‥責任を感じとる。‥‥そのうちに手の先がちょっとしびれるちゅうことば言い出した。それが目に来た。
 はじめは何のことかわからんかったが、水俣のことが明らかになって、智津夫もそれやんかと思うた。
 ワシは智津夫ば水俣病患者として役所に申請ば出したとじゃ。
じゃが却下された。
 八代はあそこから遠い言うて。他にも申請ば出した人間はおった。ばってん田舎ていうとこは変なところでのう。水俣病やちゅう申請ば出すと、あいつはアカやていう風評が広まるんや。家族まで肩身の狭い思いばせなならんかった。やからそれ以上闘わんかった」
 それは静かにはじまった震えおののくような朝だった。
 かりにオウム真理教事件が戦後史に銘記される事件であったとするなら、いま私が耳にしている長兄満弘の言葉は、麻原のあの日本と日本人に対する尋常ではない怨念の根源に触れる意味において、事件史のページの基底部を塗り替えるに足る重要なことではないのか。
 「フジワラさん、今日話したこと、ワシの目の黒いうちはどけも話しちゃいかんぞ」

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 藤原新也は、それから役所を調べた。県側の情報防御は堅かった。はたして八代に水俣病患者として申請しながら未認定になった人がいるのかどうか分からない。数年後、満弘は他界していた。
 それまで答えなかった県の返事が変わった。
 「未認定患者はいます」
 「認定患者もいます」
 藤原は、未認定患者51名の中に松本智津夫がいる可能性が少なくないと考える。それから一週間後、
 2006年9月15日、最高裁判所は特別抗告を棄却。1審通り松本への死刑判決が確定した。
 松本智津夫水俣病の関連、そのことと事件との関連は闇。
 「なぜなのか」、多くの問いの答えは隠されたままだ。オウムは犯罪に走った。明らかな非道な犯罪だ。では、なぜあの犯罪は起こったのか。その原因究明はどこまで行われたのか。そして麻原と水俣病との関係は?
 
 チッソという国家と密接に結びついた大企業の闇、国家権力とつながる福島原子力発電所の闇、闇が時代を動かしていったのがかの大戦だった。
 これらの国家権力が関わった犯罪への裁きがない。責任もとられることがない。