生活樹林を市民の生活の場に

 今日も早朝、烏川渓谷までランと歩いた。高校生だろうか、少年が一人、釣りの準備をしていた。
 「何を釣るんだい」
 「岩魚です」
 「毛ばりで釣るの?」
 「いいえ、川でカワムシをとって、それで釣ります」
 「うまく釣れるといいね」
 「ありがとうございます」
 岩魚かあ、なつかしいなあ。安曇節のなかに、あったなあ。橋の上から谷川を見下ろしながら小さく歌ってみた。

   岩魚釣る子に 山路を問えば
   雲のかなたを
   雲のかなたを 竿で指す 
   竿で指す 竿で指す
   ちょこさいこらほい

 大学山岳部時代、山でよく歌った長い安曇節の何番目か、その一節は今も口をついて出てくる。
 谷川の音を聞き、樹林の中の道を歩く。渓谷の遊歩道はひんやり涼しい。一転して山の気になる。昨日は気温が36度を超えていた。ここは別天地だ。一日この岸辺の木陰で読書をしたいものだと思う。ここまで来る市民はほとんどいない。街の中心からここまで歩けば1時間から2時間はかかる。その道中はさえぎるものなく、日射が容赦なく降りそそぐ。車で来れば十分ほどだが。
 「生活樹林を市民の生活の場に」、未来に残す安曇野はそれを実現していく過程から生まれてくるとぼくは構想する。そうならないと、安曇野は息を吹き返さないと思う。けれども、実現目標に「生活樹林を市民の生活の場に」という構想が位置づくだろうか。現実はこれとは逆の方向へと歩んできて今があり、未来も同じ方向に向かっているのが現実なのだ。
 ひとりでやってきた少年は、谷に下って、岩にぶつかって流れる水に一日釣り糸を垂れる。変幻自在に流れる清流を見つめ、木々を渡る風を感じながら、少年は夏を生きる。
 渓谷遊歩道の入り口に清潔なトイレがあり、外の壁に地図が掲示されていた。谷川の橋を渡って、対岸を山麓道路へと下っていく道が書かれていた。そんな山道があることを初めて知った。この道を近々歩いてみよう。初めて歩く山道はわくわくする。
 ときどきタカの鳴き声が聞こえた。今は夏なのに、ここにはセミの声がまったくない。どうなっているんだろう。この地に移住してきたとき、セミの声が聞こえないのが不思議だった。この地はセミの生息限界なんだろうか。でも、堀金の上堀の神社で一回、山麓線の三田の山で一回、セミの声を聞いた。それだけだった。
 少年のころの河内では、夏の草むらに、キリギリスの声が満ち満ちていた。トカゲの姿もあった。ここではそれも見ることはない。
 今年は、カマキリの姿を一度も見ない。アシナガバチの巣も少ない。昨日、ライラックの枝に一個巣を作っているのを発見した。小さな巣で、ハチは数匹いた。
 庭のヤマボウシの葉っぱや幹が黒くなっている。「スス病」だと分かった。堀金地区の中央をアルプス公園に向かう道路の街路樹もスス病におかされている。原因は黒いカビということで、植物に寄生しているアブラムシやカイガラムシ、キジラミ、コナジラミの排泄物や分泌物、植物に付着したほこりなどから栄養を得て「スス病」になるそうだ。ネットで得た知識だが、薬剤散布するのも抵抗があり、ちらりと見た、EM菌で「スス病」を治したという記事から、今それを試している。