伝統と風土

 午後1時何分かのバスに乗る予定で、パン屋の前で待っていた。ところが予定時刻を過ぎてもバスが来ない。もう一組の夫婦連れも待っているがやってこない。どうしたんでしょうねと顔を見合わせる。
 そのうち坂道を行き交う村の人たちの動きや、フェスティバルに造られた仮屋への人の集まりの様子から何か催しがあるのだろうと予測した。そのとき道を行く人が、パレードがあると告げてくれた。だが、こちらはバスに乗る予定をしている。まずバスが来ないことについてどうなっているのか聞いておかないと、と村のインフォメーションへ行ってみた。若い女性がひとりそこにいた。聞けば、祭りの関係でバスは村の中まで入ってこないのだという。バスは村はずれのスーパーマーケット前で折り返してゆくのだと、こちらが知らないで待っていたことについて彼女は謝ってくれた。
 そのうちに、あちこちから小型のトラクターがボンボンとエンジン音とたてて、集まってきた。どうもパレードに参加するようだ。若者や壮年、老年の、楽器を持った人たちが民俗衣装を着て仮小屋前に集結している。これはまあ80歳を超えているよと思える、やはりチロルハットにチロルスタイルのおじいさんがやってきた。彼も祭りのパレードに参加するらしい。満面笑顔の彼は、他のメンバーに温かく迎え入れられ、いよいよパレードだ。
 小雨がぱらついていた。先頭にブラスバンドの一隊が勢ぞろいした。若者から高齢者まで2、30人ほどの、村の楽隊だ。ラッパの音が鳴り響き、楽隊は坂道を発進した。チロルの伝統の曲を演奏しながら道を上ってくる。例のチロルハットにチロルスタイルのおじいさんは、大太鼓を載せた車を孫らしき男の子に引かせ、その後から大太鼓を叩いている。上機嫌だ。次に、トラクターの列が続いた。きれいに磨かれた小型トラクターは、昨日まで牧草収穫に走り回っていた。それが今や、孫を乗せたり、娘を乗せたりして、輝かしい祭りの行進だ。トラクターの列は10台ほど勢いよく進み、そしてまた別の楽隊がやってくる。彼らも2、30人ほど、最前列の楽隊とは異なる色の衣装を着ている。チロルの曲が行き過ぎて村の教会のほうへ上ってゆくと、第二隊のトラクターが来た。そしてまた楽隊が来て、トラクターが来て、こうしてパレードは小さな村のなかを一周してくる。
 バスを待っていたぼくらは、このパレードを見ることができたことに大いに満足して、臨時停車場へ下って行った。いかにも小さな村の小さな祭りだが、風俗と伝統が生きている。
 その時、臨時停車場でバスを待っていたカラヤンによく似た人から、「アムジイ(クロウタドリ)」の名を教えられたのだった。
 住民たちは伝統を大切にして生活を創造し実践している。それはチロルの建物と生活を見れば分かる。

 切妻スタイルのシンプルな木造家屋、その窓下に長々と花を咲かせた家々。どの村もそれが調和の美を生んでいる。
 牧草地と林とが混在する環境がつくる景観の美。そのなかで酪農がしっかり根を下ろしている。夏場、牛たちは村から山のアルム(牧場)に上がって放牧され、草を食んでいる。麓の村は牧草をサイレージして長い冬に備えるのだ。
 チロルの音楽が、生活の中に生き、たくさんのCDが店に並んでいる。テレビの天気予報は、オーストリア各地の天気をチロルの音楽をバックに、景色を映しながらゆったりと数十分に渡って放送している。
 山小屋で牛乳を飲んだ。牛乳の甘味を含んだ濃厚な味は格別だった。街の店に並ぶ、数え切れないくらい豊富な種類のチーズ。ヨーグルトもアイスクリームもおいしい。
 モーツァルトが生まれた家も暮らした家も残されていた。歴史遺産に、芸術遺産、そして自然遺産、それらが世界の人を呼ぶ。ザルツブルグ音楽祭も近い。

 昔、氷河を見上げるチロルの谷々の奥地に住み着いた人々、彼らは苛酷な自然環境のなかで重労働を強いられてきた。それは日本の信州の往時に共通する、厳しい貧しい生活だった。
 背負子に荷をつけて、山道を歩いた共通の体験をもつチロルだ。
 今は豊かになってはきたが、自然環境を守るという大テーマは、チロルでも一時もおろそかに出来ない課題だ。自然開発は破壊でもあった。
伝統を守り、自然風土を守る、このテーマをどれだけ意識しているか、我々が背負っているものを自覚しているか、その意識のありようがオーストリアと日本のそれぞれの現代に現れている。