集団的自衛権行使容認の危険

 集団的自衛権の行使容認に対して、各新聞社はどのような見解に立っているか、朝日新聞が報じていた。(5月23日)
 各紙の社説担当者に行使容認の賛否を問うた結果は、
   朝日 反対
   毎日 反対
   読売 回答なし
   日経 回答なし
   産経 賛成
   東京 反対
   信毎 反対
   その他、地方紙は反対が多い。
 賛成と反対、この違いはどこから出るのだろう。

 戦争は是か非か、と問えば、だれもが非と答える。人を殺すこと、これも悪だと答える。この答は絶対的なものだ。
 自分の国を守ることは、是か非か、ほとんどの人が是だと答えるだろう。
 では、自分の国を守るために戦争もやむなし、これはどうか。この場合は、戦争しないで国を守る方法を講じることに全力を挙げるべきだ、という答が大部分だろう。
 じゃ、わが国の同盟国が戦争を開始し、そのときの状況によって、支援に自衛隊を送り出し、戦争に加わることは? すなわちこれが集団的自衛権の行使。

 反対を主張する朝日新聞は、
 「戦争の反省から出発した日本の平和主義が根本的に変質する。日本が攻撃されたわけではないのに、自衛隊武力行使に道を開く。それはつまり、参戦することである。」
 反対の毎日新聞は、
 「歴史を顧みれば、自衛の名のもとに多くの侵略戦争が行われてきた。集団的自衛権が戦争への道を開く面があることを忘れてはならない。」
 東京新聞は、
 「中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発が現実的な脅威だとしても、外交力を駆使して解決するのが筋ではないのか。軍事的な選択肢を増やしたとしても、軍拡競争に拍車をかける『安全保障のジレンマ』に陥るのがおちだ。」
 賛成を主張する産経新聞は、
 「なぜ今、集団的自衛権の行使が必要なのか。それは、厳しさを増す安全保障環境を乗り切るため、日米同盟の信頼性を高め、抑止力を強化する必要があるからだ。
 回答無しの読売新聞は、
 「解釈変更は、行使を可能にしておくことで日米同盟を強化し、抑止力を高めて、紛争を未然に防止することにこそ主眼がある。憲法には平和主義に加え、平和的生存権や国際協調主義がうたわれていることもわすれてはなるまい。」

 問題は、憲法で定めた「戦争放棄、平和主義」を否定するかどうかである。憲法は、自ら進んで戦争の道を歩むことは断固禁じている。ところが首相をトップに閣僚たちは、憲法を都合よく解釈して、集団的自衛権があるとみなそうとしている。国民のなかにも葛藤がある。

 日本の歴史をみる。ゆけゆけどんどんで軍国主義に突き進む国に対して、非戦を信念としながら葛藤する人がいた。
 長野県上伊那に生まれた森下二郎は、26歳のときに洗礼を受け、内村鑑三に私淑した。彼は教育者の道を進み、松本高等女学校校長を勤め、日中戦争から太平洋戦争への戦時下、日記をつづっていた。そのなかに、次のような記載がある。抜粋した部分をここに記す。(「支那」の呼称は適切ではないが、中国と言い換えずにそのままにする)

 昭和12年12月19日
 正義の戦といい、平和のための戦という。はたしてさような戦がありうるのか。
 昭和13年5月29日
 内村(鑑三)先生にして存生しておられるならば、今の戦争についてどういわれるであろうか。いかなる態度をとられるだろうか。先生は日露戦争のとき、世界大戦のとき、絶対非戦を主張し、絶対非戦の態度をとられた。今度の戦争においては、非戦を唱える人などはただの一人もない。神と愛の信仰からしてさえ戦争賛美をしている人ばかりである。
 11月5日
 今度の戦争が東洋平和のための戦争であり、支那を愛するゆえに支那を討つのであり、皇祖のご理想たる八紘一宇を実現することであり、したがってこれは聖戦であるという。‥‥これらはみんな疑わしく、みんな信じられない。東洋平和のために東洋の平和を破りつつある。破った結果において、平和が、永遠の平和がくるのだという。そんなことは信じられない。むしろ東洋永遠の禍乱の種をまきつつあるという方があたっているように思われる。もし世界征服の野望のごときものが、わが建国の理想であるとするならば、予はかくのごとき理想を持ちえざるものである。予はこの戦争が、聖戦であると信じることができない。
 昭和14年12月30日
 軍部が発表したところによると、今度の支那事変のための死傷者は支那側約三百万、日本側は四万五千であるという。‥‥ああ、三百万とよ! これもまた興亜の犠牲である。(「興亜」とは、アジアの勢いを盛んにすること) 日本は支那を侵略して三百万という無辜の民を殺戮したのである。かくのごとき侵略殺戮の結果が、東洋永遠の平和となろうとはいかにしても信じることはできない。これが禍根となって東洋の永き不和混乱が導かれるであろう。現にこの戦争の始められた当時、軍部の人の言葉にもこの事変は百年も続くものと覚悟せよとあった。かくのごとき状態が日本にとって支那にとって、百年も続こうというのが東洋永遠の平和というのであるか。
 憎悪と排撃とが平和をもたらすこと、驕慢と強欲が親和を引き起こすことは、ありえないことである。
 トルストイは生前日本に対して「愛国心よりきたるところの禍害より免れんことにつとめよ」と忠告している。

 日記はさらに敗戦に向けて続く。
 ポイントだけ抜粋したが、このような日記を森下二郎は書いていた。あの時代にして驚くべきことである。命がけである。森下は昭和37年(1962年)77歳で没した。
 愛国心の落とし穴にはまるなと、ナショナリズムの危険をトルストイは日本に対しても忠告していたが、今もナショナリズムは危険な戦争の火種になっている。