「森下二郎の日記」、真珠湾攻撃の後

 森下二郎の日記のつづきを抜粋して書いておこう。
 真珠湾攻撃が行なわれ「太平洋戦争」に突入した日本、その直後の森下二郎の思いがつづられている。

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昭和16年12月8日
 午前10時半新宿発 諏訪に来る。
 午前11時 対米英宣戦の詔書くだる。
 戦争はすでに前夜開始され、日本軍はハワイ、フィリピン、シンガポールを襲撃せり。

12月11日
 独伊両国は米国に宣戦を行ない、日独伊三国は同盟協定を締結す。いよいよ全世界の大戦争になってきた。

12月14日
 始まると思っていた米英との戦争は始まった。そしてまず大勝利を占めたというので国民は大喜びでうかれている。しかしこれぐらいのことで米英もまいってしまうこともないから、この大戦争状態はいつまで続くか分からない。フィリピン、イギリス領マレー、オランダ領インド(オランダ領インドネシア)などを占領する。これは主としてその地の資源が目的なのだから、占領したらただちにこれが開発にあたらなければならぬ。そうして開発して得た資源をもって、さらに戦争を継続する。英国は独伊に倒させておいて、日本は主として米国の東洋にのばしてきた手をたたきつけ、それによって重慶政府(中国国民政府)を屈服せしめ、かくて支那を自由にし、タイ・仏印を従属国たらしめ、もって米英が東亜になしたと同じことをなしたい。これがたぶん政府および軍部のねらっているところであろうと思うが、これはそうなかなか簡単にいくものではあるまい。日本も、米本国まで侵入するほどのことはとうていできまいから、東洋南洋における米領を占領してからは、それを守ってつねに米国からの脅威にさらされなければならぬ。よしや英米を思うように打倒することができたとしても、戦争は止まない。なぜならまだソ連がある。いやドイツがある。軍部のものなどは、結局はドイツと戦わねばならないなどと放言しているくらいである。
 ゆえにこの戦争はいつまで続くかわからない。あてもつかない戦争である。永遠の平和を保持せんとするという戦争が、永き禍乱となるのである。

昭和17年2月18日
 シンガポール陥落祝賀日。
 中学校では午前9時より祝賀式。終わって護国神社および諏訪明神上社参拝。行軍演習。
 商業学校は、午前10時より市の祝賀式に参加、続いて祝賀旗行列。
 われは正直にわがただいまの心境を記しおくべし。われはこの祝賀日に当たって、なんら祝賀すべき歓(よろこび)を感ずることなし。ちっともおめでたい気がしない。さらにうれしさを感じない。

     東亜諸民族におのおのそのところを得せしめんための戦なりとふ果たしてしかるや
     国を挙げて大きな偽りを行ふを忠義の道と思へるにあらずや

3月8日
 堀内教諭の出発を見送る。
 湖畔をまわりて帰る。氷融けて春波洋々。はるかに穂高岳の雪の姿がかすんでいた。
 一昨日、ハワイ真珠湾攻撃特殊潜航艇九勇士の壮烈なる心事、行動、およびその最期が発表された。感激すべきことであるにかかわらず、正直にいって、どうも真の感激が湧いてこない。

昭和19年10月20日
 台湾沖航空戦においては轟撃沈航空母艦11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦1隻‥‥。
 大戦果をあげたのであるが、わが方の損害としては、飛行機未帰還312機と発表された。この多数の未帰還機を出したことから察すれば、しょせんこの大戦果はわが航空部隊の体当たり戦によってもたらされたものであるのだ。大本営海軍報道部長栗原大佐のごときも、「勝つ手をここに見た」と言っている。すなわち軍部は体当たり戦術もってこの決戦に処するつもりと見える。
 体当たりより他にとるべき法のないというのは、まさに死に物狂いの姿である。予はかかる現実をまことに悲しと思う。大戦果に対しても歓喜の情よりは悲痛の念が先に立つ。

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 日記は敗戦の日を迎え、さらに戦後へと続く。
 森下は、この戦争というものを実に冷静、理性的に見ている。いったん戦争を準備するや、国の状況は戦争へ傾斜していくことは必至である。いったん開戦の火ぶたを切るや、戦争は行くところまで行ってしまう。矛を収めようとする陣営の力が弾圧され、衰退するのだ。かくて勝利国になるか敗戦国になるか、どちらかになる。勝利者になると、敗戦国の怨念は、百年はつづくことになる。侵略されたものも同じ。
 1945年の戦争終結からもうすぐ70年になろうとしている。満州事変は1931年、日中戦争が始まったのは1937年、日韓併合が行われたのは1910年、それから数えれば、前者では83年と77年、後者では104年である。  侵略戦争と植民地支配への両国の思いは今も完全に乗り越えてはいない。
 それはなぜか。国と国の関係が乗り越える方向に誠意を尽くしたかどうかである。誠実な関係性をつくることを棚に上げてナショナリズムに走る国と国になると、ふたたび矛を交えることになる。交えればいちだんと先鋭化した兵器は恐ろしい結果を導き出すだろう。それを想像できるか。想像できないものが好戦的になり過激化する。彼らは敗戦の悲惨を想像しようとしない、またできない。
 日本の戦争を推進した軍部、政治家、国民の多数は、開戦時には敗戦を想像できなかった。