市議会傍聴記(2)


 いったいあの緊急動議とは、何だったんだろう。あの後、再開された本会議で何があったのだろう。
 翌日、地方紙の「市民タイムズ」を見た。「安保法案慎重審議求める意見書1件可決」という見出し。あれっ、あの意見書は否決されたではないか、どうして?
 記事はこうあった。
 「集団的自衛権の行使の是非や他国での武力行使などの争点について、市議会の態度は明示せず、国会に『慎重審議』を求める一件が可決され、他の二件は否決された。‥‥これを受けて竹内議員が法案への賛否を明示せずに慎重審議』を求めるとする案を提出した。『外交や防衛は国会で方向づけられるべきだ』などとする賛成討議が出て、賛成多数で可決された。」
 ぼくが議場から出た後、議会はそういう展開をしたのだ。ということは、三つ目の意見書なるものは、二つの意見書が否決されるまで隠されていたのだ。否決された小林提案と荻原提案の二件の文章は、議会事務局によって印刷され、全議員に配られ、審議当日は傍聴者用にも受付に置かれていた。さすれば竹内議員の意見書は、二件が否決されてから提出されたことになる。そしてぼくが退出した後の休憩後に議員たちに配られたということか。では、その文案はいつ作ったのか。
 インターネットの市議会ホームページを開いてみると、その三つ目の竹内意見書が載っていた。文章を読み比べると、なんと荻原議員の提出した『慎重審議を求める意見書』を一部削除したものだ。削除されているところは、次の部分。
「この二つの法案(平和安全法制整備法案)は、憲法九条のもとでは違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能とし、日本が武力による攻撃を受けていないのに米国などの軍隊による他国に対する武力行使に、自衛隊が地理的な制限なく緊密に協力するとするものである。‥‥自国を守るのではなく、よその国に出かけて戦争に参加し武力行使することは『日本国憲法』から見て許されない。」
 荻原提案の主旨はここにある。なぜ政府に対する意見書を出すのかというと、この危惧・危機感である。だが竹内提案は、荻原議員の意見書のなかの危機感の部分を省き、政府案への批判を弱めて慎重審議を求めるとしている。それなら意見書を出す意味がないではないか、安倍首相も充分審議すると言ってるのだから。
 だが第三案にもポイントは残されていた。それは「憲法違反ともされる重大な問題のある同法案に対し、国民の理解が得られるまで徹底審議を尽くすことを求める」の部分、「憲法違反ともされる重大な問題のある同法案」という文言、この部分が生きている限り、意見書は無意味にはならない。意味を持つ。
 「安曇野市議会は、安保法制批判の意見書を葬り去った」という結末にはならないように苦肉の策で合意は形成され、一応意見書は提出することになったとぼくは解釈した。
 この国の将来に関係してくる重大な法案に対しては、地方議会は国にお任せして沈黙するのではなく、率直な意見を提出して、道を過たないようにしていかなければと思う。
 それにしても、二人の提案が否決されて、瞬時に第三案をつくるという芸当に首をかしげる。ひょっとしたら第三の意見書を出す工作は、もっと早い段階で準備されていたのではないかと思う。誰かの思惑が働いているように思える。どこでどのように行なわれてきたのか、知らない部分、知らされていない部分がある。
 ところで、国レベル、反対意見を封じ込める政権の動きが露骨になってきた。阿倍首相は会期を延長して徹底審議を行なうと言いながら、同時に「決めるときには決める」とも言っている。時間は費やしたのだから、決定には有無を言わせないというこの戦法、要注意だ。
 現在も国会で議論されているが、政府の見解は明確ではない。
 首相は以前こう言った。「我々が提出する法律についての説明はまったく正しいと思う。私は総理大臣なんだから」。
 「まったく正しいと思っているから正しい」「私は総理大臣なんだから正しい」、とんでもない論理だ。
 先日首相はこう述べていた。「60年の安保改定や92年のPKO協力法成立の時も強い反対があったが、法案が実際に実施される中で理解が広がっていく側面もあります。」
 「よく分からなくてもいい、実施されれば分かるんだから、国民は信じてついてきなさい。」 
 では、「はいそうします」と言うのか。
 権力を行使できるポストに着くと、人は権力を行使したくなり、行使する権力によって独裁者になる。