あのときの発言は何だったか

 テレビ番組に、ジャズピアニストの上原ひろみが出ていた。ピアノの鍵盤の上を10本の指が、それぞれ異なるキーを同時にたたいて瞬時に変化し、独自行動をとりながら、複雑で絢爛たるメロディーを響かせていく。上原ひろみ、35歳、世界的に活躍しているミュージシャンであることを知った。見ていて、不思議な感動に見舞われた。人間の意識は一点に集中しなければ、ねらいどおりにことが進まないと思っているが、10本の指の異なる動きは、強烈な集中の中、一本一本の指を意識するのではなく、しかし一本一本の指は意識的に操作され、脳からの発信がいくつもの行動を同時並行的に調和して進めていく。この脳の動きの底知れぬ働きに驚嘆してしまった。
 上原ひとみが語っていた。自分の尊敬するジャズピアニストであるアーマッドジャマルは、今84歳になるが、今もなお演奏が進化し続けており、自分がジャマルに、「あなたのアルバムでいちばん好きなアルバムは何か」と問うたとき、ジャマルは「Next one」と答えたというのだ。これまでのはまだまだダメで、これから本当にいいものが生まれてくる。「Next one」は次に生まれてくるものだと。80代になっても、なお進化は止まらない。過去の演奏は不十分、これからの演奏を本物にする。
 そして上原が言う。自分もジャマルのようにSeekerになる。やりつづけ、ずっと捜し求め、まだ見ぬ自分に出会うのだと。

 このテレビ映像を見て、感じるものがあった。今朝のウォークからつながる思いだった。
 久しぶりに雨がしとしと降っていた。雨の中を、傘をさして歩きながら考えていた。今はもう若い時のように全力疾走できなくなったが、全力疾走している自分を想像した。全力で走るときはそれに意識を集中させながら、同時に脳はそれぞれの体の機能の異なるたくさんの活動を平行して行ない、瞬間瞬間を構成して、全力疾走を成り立たせていた。走るというのは、一つの動きではなく、多くの機能の総合的な動きなのだ。
 だが、老いたる今、全力疾走をしようとしても、同時並行で動く機能が若い時のように動かなくなっている。脳の働きそのものがゆっくりとし、バランスを取る動き、腕と脚、走行時の脚の回転などを調和させる能力は衰えている。
 その思いが一昨日の市議会の報告会につながっていった。ぼくが意見を言ったあと、会は終わった。精神が少々昂ぶっていて、その後、なんとなく不快な気分になった。「後味が悪かった」とあの日の日記に書いたあの気分。
 報告会の最後にぼくが発言を認められた。そのとき、何を言うべきか一瞬考えた。一時間半にわたるその報告会全体を振り返れば、議会と市民の関係、民主主義の問題が、発言のポイントになる。参加している市民が言いたかったこと、聞きたかったことはそこにある。それを発言しようと思った頭は、すぐに意見を引き出せなかった。結局ぼくが考えたのは、議会側のレジュメにあった「松枯れ」問題を通して、議員のあり方を考えてもらおうということだった。
 発言者の最後の一人としてぼくは訴えた。「議員は、地域や市民の現実の中に入ってきて、自分の脚で取材し、独自調査をして、もっと政策を研究してほしい」と。そして、そのことを考えてもらうために、アカマツを守るために何億円もの予算を組み、ヘリコプターで松枯れを広げるカミキリムシを駆除する薬品を空中散布して、逆に蜂類や鳥類に被害を広げる対策がとられているが、議員たちが積極的にその対策を支持することの危険を訴えたかった。アカマツはもうすでに末期の状態、それよりも山の樹木の貧弱さが、自然災害を引き起こす恐れがある、さらに安曇野の景観における樹木の重要さ、薬剤散布は昆虫類に打撃を与え生態系の破壊に影響する。ツバメ、ヒバリの激減がすでに現れている。
 現実を自分の眼で見て、未来を画く政治を考えてほしい。そういう思いだったのだが、あの意見ははたしてどうだったか。
 今朝、思いはあのときの自分に向かった。苦い思いがする。自分の発言は、言葉が足りていなかったのではないか。時間を急ぎ、結局言いたいことが伝わるものになっていなかったのではないか。
 報告会が終わった後、会場から階段を下りていくとき、一人の高齢の男性が、「よく言ってくれました」と声をかけてくれたが、ほんとうにそういう発言になっていたのかという思いが湧く。もしあのとき、討議というものであれば、他の市民も意見を出し、言い足りないことを補足し、表現の不十分さを正し、ピンポンのように打ち返しながら討論の内容を高めていくことができただろう。
 また、民主的な議会、民主的な市政について、本質討論の課題を今後に向けて提案すべきだったとも思う。議会側がこの数年かけて、議会改革に努力してきたことは市民としても認めなければならないと思う。

 はたしてぼくの脳は進化出来るのかどうか分からない。しかし、ジャマルや上原の演奏のように、次はもっとレベルが上がるように、もっと深まるように、思考はのろくても。
 おう、「Seeker!」。