市議会の現実と改革

 市議会の議員団にはじめて身を置いた望三郎君、驚いていることだろう。そこはどんな世界であるか、これまで暮らしてきた世界とは隔絶した異様な世界であるか、それとも理想を追求しようとする人たちの情熱と理念が刺激的な世界であるか。
 おまえは、新米じゃないか、よそものじゃないか、あまりでしゃばるなよ、という空気を感じることはなかったか。
 8年前、純子さんがはじめて市議になったとき、自分の所属委員会ではない別の委員会へ傍聴に行った。広く勉強をするためだった。すると、その委員会の議員たちから、
 「何しに来た? 傍聴だと? とんでもない」
と言われた。それでも純子さんは、市政の実態をつかむために、勉強を続けた。
 出身地の代表として議員になった人たちは、選挙民とも「なあなあ」の関係、議員のなかでも「なあなあ」の関係になりやすい。「なあなあ」を広辞苑で引くと、
 「軽く念を押す程度で、厳しく確認・追及せず事を処理することから、妥協して安易にすませること、なれあい」
とある。
 政治の世界は力学の世界、自分が勢力をもつために仲間をつくる。地方議会は、国会のような既成政党の色合いは薄い。共産党公明党の議員は党員としての色を明確にしているが、それ以外の人は、それぞれの思想・理念と個性で動いている。思想・理念がまったく感じられない人もいる。
 この地で生まれ育ってきた人は、地縁・血縁、人脈の関係があり、「なあなあ」の関係になりやすい。「なあなあ」で徒党をくむこともできる。新しい市議会議員が決まると、議員のなかに自然と動きが生まれ、人と人とがくっついていく。そしてそのくっつきが市長・行政の権力を補完する集まりへと収斂しやすい。そうすれば自分も勢力の一分子になる。そういう市長・行政の与党が強力になると、市議会は行政をチェックする能力を失う。市民の意見を汲み上げず、市民の暮らしを現場に足を運んで見ることもせず、チェックされることのない政治は、怠慢に陥る。あるいは過ちを犯す。
 望三郎君は、市議会の力関係について疑問を抱いた。それは当然のことであった。
 <市議会の中で与党会派が既に出来上がっていて、多数決によってその会派の意向でほとんどことが進んでしまう。公の場での説明も何もなく、水面下で決まってしまったことに違和感を感じている。
 与党や行政に逆らうようなことをいうと議会でつぶされてしまい、支持基盤(地区)の要望などが通らないので、地区の人達から「使えない議員」と言われてしまう。それが困るので個人的には意見が合わなくても与党会派に属するしかない。>
 新規に議員になった人たちが感じる疑問である。
 この疑問について、望三郎君の応援団の一人からこんな疑問が出されていた。
 <各地区の「要望」って何だろう? 本当にあるのか? 「ハコモノを建てて欲しい」とか「道路や橋を架けて欲しい」ってことが、今の安曇野で本当に必要とされているのか?
 本当は、何となく「力のある議員」と言ったり言われたりすることの”評判稼ぎ”をやってるだけじゃないの?>
 率直なアドバイスが寄せられる関係をつくり、その市民の意見に背中を押されて、市議会の固い粘土層をこねまわす議員になってほしい。そのために市議会の中にも市民の中にも、同志、仲間を育ててほしい。

 特定秘密法案の衆議院採決において、自民党からもみんなの党からも、賛成に回ることを拒否した議員がいた。所属政党の方針に賛成できず、同調することもせず、棄権・反対したのは、自民党村上誠一郎氏、みんなの党井出庸生氏、林宙紀氏、江田憲司氏。こういう自己の信念を貫く議員に好感と親しみを感じる。