視力とめがね

 ぼくの人生、前半世紀は眼がいいのが自慢だった。奈良盆地の西の端、越えれば大阪側という信貴山麓の我が家から、奈良盆地の東の端の天理の自動車道を走る車を見つけることもでき、ブッシュマンなみの視力だと自賛していた。
 その視力にかげりが出てきた50代、老眼だというわけで、眼鏡屋で視力を測ってもらい、初めての老眼鏡を購入した。それは主に書物を読むときに使うめがねだった。5、6年ほどすると、視力がまた衰え、次の度数の遠近両用のめがねをつくった。
 10年前、日中技能者交流センターの西尾研修所で中国からやってきた研修生を教えた。それは最高に楽しい合宿研修だった。寮の食堂で食事を共にし、昼間の授業だけでなく、夜の自習のときも研修生と共に勉強をした。朝起きると、近くの野や川を連れ立って散歩する。授業のときに日本の歌を練習して一緒に歌った。一日、研修旅行と称して電車に乗って海へ遊びにも行った。初めて海を見たという生徒の大感激ぶりにはこちらが感動したものだった。広い中国の内陸部ではそういう子もいる。
 研修最後の日、一人の研修生が、一つのめがねを教卓のところにもってきて、プレゼントしますと言った。かけてみると、本の文字が大きく見えた。これはよく見える、ぼくは、ありがたく頂戴した。どうして彼がそんなめがねを持っていたのか、理由は聞かなかった。たぶん何かお礼をしたりするときに役に立つかもしれないと中国から持ってきたもののようだった。
 その翌年、中国労働部の青島研修所で教えたとき、同僚の日本人教師が街の眼鏡屋でめがねをつくったと聞いて、ぼくもそこで遠近両用のめがねをつくってもらうことにした。視力を検査し、日本の技術を使って、最新のめがねをつくるという眼鏡屋で、めがねはなかなかセンスのいいものだった。
 そのめがねを、その後9年間使いつづけた。だが、どうも小さな文字や、インターネットの文字を読み書きするときには、それ用のめがねがいるなと思ったから、安曇野の眼鏡屋で文字を読むときだけ使う度数の進んだ老眼鏡を買った。
 青島の眼鏡屋につくってもらっためがねは、日常生活でよくつかうのだが、使用頻度が高かったせいで、めがねの枠にゆがみができ、しっかりとフィットせず、ずりおちそうになってきた。自分で枠を曲げたりして顔に納めようとすると、ますます調子がおかしくなった。そこで、もう使わなくなっていた以前のめがねを出してきて、外仕事のときはそれを使うことにした。するとそれでも結構役に立つことが分かった。不思議なことに視力の低下はそれほど進んでいないようだった。
 一週間ほど前のこと、その外用の古めがねで畑仕事をしていたら、めがねを支える鼻の上に小さな痛みを感じた。外してみると、めがねの中央の、鼻の上に当てる部品の片方が無くなっている。落としたと思われるところを探したが、小さすぎて見つけられない。これがなければ、このめがねは役立たずになる。翌日、もう一度座って作業していたところを探してみた。同じように腰を下ろし、眼を下に落として地面の上をはわしていくと、おっ、あった。よく見つかったもんだ。しかし、それを留めていたビスはあまりに小さすぎて見つけることは不可能だと判断した。
 そして、野良着のまま眼鏡屋へ行ったのだった。
 眼鏡屋にやってきたみすぼらしい身なりのじいさん、
 「このビスのはずれたのを修繕してください」
 若い眼鏡屋の職人さん、
 「ちょっとそこに座って待っててくださいね」
 あっという間に、めがねは直った。
 「いやあ、もう直りましたか」
 「はい、108円です」
 へえー、ほんま?
 「もうひとつ、今掛けているこのめがね、ゆるゆるで落ちそうなんです」
 「レンズをはずして調整しますから、少し時間かかりますが」
 眼鏡屋は一生懸命作業してくれた。
 「はい、できました。だいぶ金属疲労しています」
 かけてみると、
 「わあ、ぴったしです」
 おまけにお金はただ。
 「ありがとうさんでした」
 100円プラス消費税8円足したのを払って、頭を深く下げて帰ってきた。
 今三つのめがねを、使い分けしながら使っている。眼はまだまだ大丈夫。