眼鏡

             写真・チロルの村で

 老眼鏡の一部がこわれた。めがねを支えるのは両耳と鼻梁の上の部分、その鼻に当てて支える二つの小さな部品の片方が取れてなくなっている。日曜日の夜の日本語教室で気がついた。この老眼鏡は、小さな文字を読むときのために、スーパーマーケットに入っている眼鏡屋で買った。1600円だった。買ってからまだ数ヶ月しかたっていない。それが一部破損した。
 日常生活では遠近両用のめがねを使ってきた。それで車を運転し、文字も読んできたのだが、老眼が進んで、辞書の文字は読みづらくなった。小さな文字用の眼鏡がほしい、と眼鏡屋を訪れて買ったのだった。
 若いころはブッシュマンの目だよと、自分の目を誇りにしていた。黒部川の河原から薬師岳の稜線を歩いている点のような人を見つけた自慢の視力だ。それが年とともに衰え、星空を眺めても、一つの星が二つにぼんやりかすんでいる。冬になって、スバルが現れた。むつら星の六つの星は、ぼんやりして、いくつあるのかも分からず、それがスバルだと、かろうじて分かる程度で、スバルの後からオリオン星座が追いかけてきても、光度が低くて、昔のような感激が湧かない。そこへさらに小さな活字が見にくくなった。
 修繕してもらおう、こわれた眼鏡を持って、当の1600円で買った眼鏡屋へ行った。若い女の子の店員さんは、「これを修繕する費用のほうが、新しいのを買うより高くなりますよ」、と言う。それなら新しいのをと、同じ眼鏡の度数4のを買った。やはり1600円。
 「この遠近両用の眼鏡のツルが開いてしもうて、はずれやすいんですが」
 もうひとつの眼鏡、耳にかけるツルの部分を狭くして顔にぴったし合うようにしてほしいと、今かけている眼鏡を渡したら、店主が手にとって直接修復をしてくれた。この町の老舗で長年やってきた老店主は蓄積した技術をもっていて風格が感じられる。
 「このめがね、どこで購入されました?」
 「ああそれ、中国です。中国の眼鏡屋さんで、日本の技術でつくってくれる店でしたよ」
 それは青島の街の眼鏡店で、視力をきちっと測定して作ってくれる。数日後できあがったのをもらいに行った。価格はかなりの高額だったが、品物は満足できるものだった。あれから10年近く使っている。これからも使い続けることができるならうれしい。老店主がどうして、そういうことを聞いたのかなと思い、あらためて眼鏡のフレームを虫眼鏡で観察すると、100パーセントチタニウムという刻印がツルにあった。
 それから一週間ほどたってからのこと、眼鏡なしで家を出、運転して職場に出かけていったのだ。途中、ひょいと眼鏡をかけていないことに気づいた。眼鏡なしでも運転はできるし、歩くこともできる。だが、文字を読むことや、暗いところでものを見ることは、難しくなる。これはしまった。遠近両用も、老眼鏡も、どちらも家に忘れている。生徒を指導するときはマンツーマンなので、眼鏡がないと教材が読みにくい。学校に着くと同僚に、
 「眼鏡を忘れたんですよ。どこかスーパーで買ってきます」
と言って外に出た。ホームセンターやスーパーは格安の老眼鏡を売っているはずだ。最初のスーパーまで早足で歩いていった。店に着いて聞くと、店員は置いてないという。ではもう一軒へ行こう、薬局があった。ここなら置いているかもと入って聞くと、「あります」との返事、よかったと眼鏡置き場に行くと、度数の3までしか置いていない。やっぱり4がほしいと、大手のスーパーまで汗をかいて行った。しかしそこも置いていなかった。職場に戻る途中、100円ショップがあった。ここはどうだろう、入って聞くと、「あります」と案内してくれた。あった、あった、度数4も、4.5もある。なんと「高級老眼鏡」と印刷された袋に入っていた。すべて金属性のフレームだ。金額は500円ほどとそこに書いてある数字から判断した。度数4.5を選んでレジへ持っていくと、これがなんとまあ100円。100円でこの眼鏡作れと言われて作れるもんではない。なんか大きな得をしたような気分になって学校にもどってきた。
 「これ、100円でしたよ。えーどうです? びっくりですよ」
同僚に報告。その眼鏡をかけて、教材の小さな文字を読む。ばっちり中島敦の「山月記」を生徒と交互に朗読し、指導ができた。100円の眼鏡が役に立った。
 ぼくは今、100円の眼鏡と、1600円の眼鏡と、当時のレートで1万円の価格だった眼鏡を使い分けている。