訃報

 代掻きが始まった。早朝の山が水田にくっきりと映る。前方から黄色い車がやってくる。近づいてきた車はスピードをゆるめた。中で手を振っている。見覚えのある軽自動車は止まって、中から声が聞こえた。
 「反対方向じゃないんかい」
 ご近所の元郎さんだ。ウォーキングの道が村の中への道と反対だから、いつもと違うということらしい。
 「子どもたち、学校休みだから、今日はこっちのコースです。こんなに早く、どこへ行ってきたんです?」
 「コンビニへ新聞買いに行ってきただ」
 「へえ、セブンイレブンへ? 私も昨日そこへ行ってきましたよ」
 「さよ子が亡くなっただ」
 「えっ、さよ子さんが亡くなった?」
 「脳出血だよ。今日葬式だよ。市民タイムズに載っているだ」
 まだ6時になっていない時刻に、その新聞を買いにいってきたのか。
 さよ子さんが亡くなった。ショックだった。つい最近も畑に出ていたんじゃなかったか。
 「まだ60歳ぐらいじゃなかったかね」
 「69歳だよ。2年前脳出血起こして、手術して、今度は3回目だよ」
 元郎さんはさよ子さんと親戚だ。
さよ子さんはブドウ園を持っていた。元気なときはよくそこで仕事をしていた。家のすぐ近くにブドウ園はあり、剪定の時期、消毒の時、収穫時に姿を見かけることがよくあった。一度ぼくの姿を見ると軽トラックを止めて一房のブドウをプレゼントしてくれた。さよ子さんは、ソバうちがうまかった。年に1度、さよ子さんは屋敷を開放して、新ソバをうって一日だけの店を開いた。
 村の水路の桜並木が問題になり、幹の中途から伐ってしまうことになったという情報を聞いたとき、それはとんでもないやり方だと、ぼくはさよ子さんの家に行って相談したことがあった。
 相談したいことがあると言うと、さよ子さんは、屋敷の南側の陽だまりにぼくを案内して、庭を見ながら、しんみり話を交わした。情報では、桜並木が大きく枝をはりすぎて、並木の東側の田んぼの午後の日照が少なくなって被害が出ているということと、カメラマンや観光客のマナーが悪く、ゴミを捨てたり、田畑の中まで入ってきたり、車を村の道に勝手に停車し通行を妨害したり、桜を植えたことが間違いだった、これが桜問題だった。桜を伐ることを避ける方法はないのか、ぼくがさよ子さんに相談したのは、そのことだった。この問題の「被害者」がさよ子さんにもつながっているからというぼくの勝手な理解があったためでもある。さよ子さんは話をよく聞いて、いっしょに考えてくれた。
 「私の主人が生きていたらねえ」
と言った。さよ子さんのご亭主は数年前に50代で亡くなっておられた。亭主がいたら、一肌脱いでくれただろうといった。問題解決にはつながらなかったが、さよ子さんと話し合えたことはよかったと思えた。
 元郎さんは、
 「まだ20年は生きられたのになあ」
と、残念がった。御主人は50代で、さよ子さんは60代で、逝ってしまった。
 この春、さよ子さんのブドウ園の木3分の2が伐採され、ブドウ棚や棚柱がきれいに撤去されていた。今は、去年までブドウが成っていたところに、草ばかり生えている。
 あまりに突然の旅立ちだった。ブドウ園の始末は、さよ子さんの旅立ち準備だった。