桜並木を守る


 近くに、安曇野の名所になっている大木の桜並木があった。ソメイヨシノの並木が二十数本、南北に流れる農業用水路沿いに枝を伸ばし、北アルプスの雪嶺を背景にした桜は、人を陶然とさせる美しさだった。
 並木は南へ、種類を八重桜に変えてさらに続いていくが、そこは東側に大きな工場があるために、桜を観に来る人たちが写真を撮るのはもっぱらソメイヨシノの並木のほうだった。花見のシーズンになると朝早くから、並木近辺の道路際に車が停められ、カメラをもった人が、何人も桜と山を撮るために構図を探して動き回る。並木の東側には田んぼがある。そのあぜに上る人もいれば、なかには田んぼの中に入り込んで三脚を立てカメラを構える人もいる。ごみを捨て、散らかす人もいた。道路に三脚を立てている人がいて、住民の車が通ると、通るなとばかりに迷惑がることもあった。
 田んぼの主にとっては、大きくなりすぎた桜が日照をさえぎり、農地の作柄に影響を与えて減収になるのに加えて、花を見に来る人たちのマナーの悪さが重なって、桜が悩みの種となった。「桜を植えたのは失敗だった、桜を伐れ」という要求が出てきたのは数年前だった。
 地元の部落の人たち、とりわけ桜を植え、桜を育ててきた人たちにとっては、桜の開花シーズンは頭が痛い。立て札を立てたり、田んぼの周囲に縄を張ったりしてマナーを呼びかけるが、あまり効き目がない。
 困惑の結果が、大剪定という苦渋の選択だった。桜を残すけれども、しばらく被害をなくすというものだった。二十数本の桜の大木は、業者によって幹の部分を残してほとんどの枝を切り落とされてしまった。それが一昨年だった。大剪定された桜並木は、黒い墓標の林立に見えた。
 地元の住民の中には、この結末に疑問をもつ人もいた。ぼくもその一人だった。しかしその意見をオープンにすることは、長年悩みながら樹を世話し、苦肉の策をとった人たちの感情を逆なですることになりかねない。しかし、黙っていることもまた誠実ではない。そこで昨年の三月の地元自治会の総会で、ぼくは苦肉の策を講じた人たちを批判するのではなく、自分自身が傍観者であったという反省にたって、今後に向けての考えを発表したのだった。

<提案>
 穂高町に住む95歳の老婦人が何年か前、「今年も桜の花を見ることができました。うれしいです。」と喜ばれたという記事をある本で最近読み、はっと気づくものがありました。桜は生きる力を呼び起こすものにもなっているのです。桜の花がこれほどまでに日本人に愛されているのは、人の命の輝きをうながすからだと思います。東日本大震災の被災地では、人の命とともに桜も姿を消しました。
 昨年、桜並木を区の意志で大規模に枝切りしました。何年かしたら又花が咲くだろうということですが、これから数年、桜は耐えてくれるかどうか、不安もあります。花の季節が近づきましたが、桜は墓標のように黒々と静かに沈黙したままです。
 問題解決の方法を、切り倒すのではなく大枝を切る方法にしたのは、桜を助けたいという気持ちの結果でした。しかし、私はその後、反省の気持ちがわくようになりました。自分も区民であるのに、桜を切らずに問題を解決する方法を提案することなく、黙認してしまったからです。
 そのものを無くしてしまってから、そのものの価値に気づく、ということがあります。黒い墓標のような桜の木を見て、私は「目に見えない価値」を思います。木や花、山や森、美しい景観によって、「人は力や喜びを与えられ、心が浄化され、なぐさめられ、いやされる」、そういう価値です。震災地では根こそぎ失いました。
 イギリスで、ナショナルトラスト運動が3人の市民によって始められたのは1895年でした。それは、すぐれた自然や歴史的環境を守るために、「ひとりの100万ポンドよりも、100万人の1ポンド」を合言葉に、広く国民から基金を集め、その土地を運動体で取得して守ります。運動は、やがて世界中に広がり、ユネスコ世界遺産へと発展しました。
 景観の思想は、個人や団体の所有物であっても、すぐれた自然や歴史的環境は地域の一部であり、それを見るすべての人の財産であるという考えです。だからみんなでそれを守っていこうとします。
 環境を壊す人もたしかにいます。桜を見に来る人のマナーも問われます。けれども、千人の見物人のなかに十人の不心得者がいるとしても、桜の開花を楽しみにし、それに癒やされる人の意味を考えなかった自分を恥じます。桜並木の清掃や、保存への活動をしてこなかった自分を残念に思います。
 美しい環境は、その地域の財産であることにとどまらず、日本の財産、世界の遺産であるという考え方にたって、地域づくりを考え、自治会活動も考えていく必要があると思います。 


 ぼくの提案に、総会はいくぶんとげとげしたものになった。苦労してきた人たちから、怒りの声も出た。その逆に、気持ちは分かると賛同意見もあった。結論は、今後をどうするかということになった。何年かしたら再び桜は枝を伸ばす。そのときに向けてどうするか、それを今後の課題として考えていこうと、討論は終結した。
 今年、桜は小枝を盛んに伸ばし始めていた。「桜を守る会」が区の役員が中心になって結成された。ぼくもその一員になった。
 3月の日曜日に朝から、桜の手入れを「守る会」で行なった。低い位置の枝を切り取り、防腐剤を塗り、枝を上に伸ばす作業だった。今年は少し花をつけるだろう。
 今後の抜本的な解決は、この並木を自然な生育の任せ、その周辺を公園化することだと、ぼくはひそかにプランを画いている。みんなの財産である景観を守り、憩いの林を作り、地区の産業に役立つ試案を考える。それを実現していくのは並大抵なことではないだろう。しかし、「そんなことは無理だ」と切り捨てる「現実的常識論」にくみしていては、何も実現しない。それをどのようにして行動に移すか、作戦を練っているところだ。