カブールの少年の願い

巌さんは家主に頼まれて、ご近所の家の小屋をつぶした。家主は高齢のうえに介護も必要とするご夫婦だったから、自力で小屋をこぼつことは無理だった。壊した廃材を処分したが、2メートル余りの柱5本に梁材3本、杉の丸太3本はどう処分したらいいか。吉田さんの工房の薪ストーブ用に持っていこう、巌さんはそう考えて軽トラックに積んできてくれた。こちらとしては燃料不足だからありがたい。巌さんが、我が家のことを頭にとどめてくれているのもうれしい。この春のことだった。
一緒に運んできてくれた短い廃材はすぐに燃やした。が、長いものは薪の長さに切るのも大変だし、何かに使えるかもしれないと、軒先に寝かせていたら、今に至った。使い道がなければいずれは薪にしようと思っていたのだが、おもしろいもので、ひょいとこの秋に名案が浮かんだのだ。答えがすぐ出せないときは棚上げして寝かせておけ、するとある時ひらめきが起こる、この件もそうなった。
この廃材はけっこうな古材だ。梁はぼくでも持ち上げることが出来る太さの自然の木で、湾曲している。思いついた名案は、木の門のようにして、つるバラをからませるというもの。柱2本の上に梁1本を組み合わせて乗せると、つるバラのアーチに仕立てることができる。実にいい案だ。梁はゆるい曲線を描いていて、これはなかなかいい感じのアーチになりそうだ。
さっそくつるバラの苗を買いにいった。フランス原産のピンクのバラともっこうバラの黄色の2本が値段も安く、気に入って買ってきた。どこにアーチをつくろうか、苗をどこに植えたらいいか、周囲を観察し、イメージを膨らませ、考えていく過程はほんに平和で幸せな気分だ。石ころの多い土を掘り返し、苗床の土も入れ替えた。
ここ数日、畑や庭の仕事に充実感があった。平和な日々のなかで、一つの文章に出会った。それはアフガンの、10歳の少年の手記だった。
 
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僕は、戦車、カラシニコフ、地雷を知っています。でも、「平和」というのがどんなものか知りません。見たことがないからです。でも、ほかの人から聞いたことがあります。
僕はたくさんの武器を知っています。ほとんどの武器は、バザールや、街や、学校の壁や、家の前や、バスの中や、そのほかどこでも見られるからです。
「平和」というのは鳥のようなものだと教えてくれた人がいます。また「平和」というのは運だと教えてくれた人もいました。でも、それがどうやってやって来るのかは知りません。でも、「平和」が来ると、地雷の代わりに花が植えられると思います。学校も休みにならず、家もつぶされることなく、僕も死んだ人のことを泣くことがなくなると思います。
「平和」が来たら、家に帰るのも自分の家に住むのも簡単になると思います。銃を持った人が「ここで何をしている?」とか聞かなくなると思います。
「平和」が来たら、それがどんなものか見ることができると思います。
「平和」が来たら、きっと僕が今知ってる武器の名前を全部忘れてしまうと思います。

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 この少年の文章は、アフガニスタンで帰還難民の再定住プロジェクトに参加していた山本芳幸氏の「カブール・ノート」(2001年刊行)に収められている。そしてその一部は高校の教科書にも採用されている。(筑摩書房
10歳の少年にとっては、アフガニスタンは戦争の連続だった。1979年から1989年まではソ連が侵攻、それからタリバン支配、2001年アメリカの攻撃と、平和はいまだ遠くにある。
そして自分にとっては、アフガンは意識のうえでは遠い世界のままでいる。自分から離れた他者のことは情報で知っても、本当のこと、他者のすべては何も知らないままに生きている。