家族という崩壊

彼の相談ごとというのは、恋愛問題だった。女性は二人。
彼が話す。ぼくが質問する。彼が応える。
問題の図式が次第に飲み込めてきた。
今彼は学生であり、進学してもっと勉強もしていきたい。海外へ飛翔もしたい。
だが彼は目の前の壁につきあたったまま、途方にくれている。翻弄されている。どうしていったらいいのだろう。
日に何時間も電話で話していると言う。相手の気持ちを考え、迷いに迷うと言う。
聴けば聴くほどその図式では答えはない。
「答えはないね」
とぼくは言う。答えはない。どうするかは思いを突き詰め、自分が選び、決めなければならない。
いろいろな角度から、自分を探り、自分の将来を考え、そこでまずは架空の選択をやってみる。
その「選択肢」でいいか考える。
今の自分はどんな自分だ? いまだ自立していない自分。結婚できるか? 家庭をもてるか? 子どもをもてるか?
自分の夢は?
自立ということを考えれば、自分を打たねばならず、打つことになる。
自分はどう生きていくの? 考える。独り立ちできるか? 正社員になれるか? 手に職を持てるか? 独り立ちしなければならない自分が浮かび上がってきた。
小一時間、話を聞いて、話を交わして、考えを出し合って、トイレに行きたくなって、二人連れ立ってトイレに行った。
用を足しながら、
「やっぱり年の功ですね」
と彼は言った。
それから悩み話が自分の家族の悩みごとになり、
「お腹がすいた」
と言う。昼ごはんを食べていないと言う。
困ったのは自分の母親だ。母親の「問題」をぽつりぽつり語る。食なんだ。食事の喪失なんだ。
これは社会的な機関に相談したほうがいいなと思う。問題の核心は子どもにとっての「母」。母たりえていない。母が壊れている。
どうしたらいいのか、相談機関にどうしたらつなげられるのか、
父は単身赴任で不在、日常生活に父は不在。
彼は長男、「長男としてどうする」
「父がいなければ、長男としてやらねばならない」
そこでも独り立ちが要る。だがいまだ子ども。
父と母の関係が壊れている。そのことで母が壊れている。壊れた母によって、父が壊れている。
そこから家族が壊れる。家族をつなぐのは愛情だが、その愛情や如何。
答えをだすことはできない。
これが正解というのはない。
考えるしかない。
愛をとりもどす、それしかない。
では、どうしたらいい?
一枚のポスターが廊下に貼られている。
本田選手の横顔がポスターの紙面に大きく写っている。その写真を背景に文字がある。
「悩みも、言葉に表したら、小さくなる」
そのとおりだね、そのとおりかね。