敗残人生

 正之さんは小説を書いている。それは正之さんにとっては、人に訴えるとか、作家になるとか、賞をとるとか、そういう次元の行為ではない。正之さんにとって小説とは生きることなのだ。自分という人間と自分の人生を腑分けし、自己を立て直し、自己をとりもどしていく、生を表現に託していく行為である。
 彼は、痛みに耐えながら、歯ぎしりしながら書いているのだろうか。それとも書くことに安心と慰めを得ているのだろうか。そこは分からないが、この創作活動という表現手段があったから彼は生きているのではないかと思う。
 先日、正之さんは、新たな文章をアップした。これまで発表した作品は、創作としての表現に力が入れられていたが、今回のは書くほどに思いがほとばしり、はばかることなく自己をさらけだす手記だった。
父のこと、母のこと、子どものこと、自己が歩んだ人生を振り返り彼はつづっている。彼は寺の僧侶であった父のことを、クリスチャンの母のことを、その父母の確執、その二人と断絶して展開する己が人生を振り返って書く。
 父の人生、その意味、人生の不条理について‥‥。

 <戦時中も含め彼の変転多き生涯は、やはり彼自身の生と家族のための一生だった。まちがいなくそれによって私は生を受け、育ち、人となることができた。そのことがまさに大事業の名に値することに気づくまで、私はどれほど多くの年月を空費したことだろう。>

 父と息子の関係、父を放し、遠ざけた。正之さんは父の存在を「まちがいなくそれによって私は生を受け、育ち、人となることができた。そのことがまさに大事業の名に値する」と認識するまで「私はどれほど多くの年月を空費したことだろう。」と述懐する。その思い、気づきに至ったことに救いを得る。
 自分もまた、親を認識するのがあまりに遅すぎたと思うと心が痛む。

 <たぶんそのことが人生の不条理というべきかもしれない。人生はなんらかの大義目的を達成するためにあったというより、稀な例外を除けばそれらをしばしば裏切る。むしろそのような意味・目的という虚飾の下に(といって悪ければそれらを支えとして)、延々と反復、継続されたシジフォスのごとき日常こそ、人生の実相だった。ただそれは他に置き換え不能な固有な彩りを煌かせてはいるのだが。>

 シジフォスは、ギリシア神話に登場する。ゼウスに憎まれて、死後、地獄でたえず転がり落ちる大石を山頂へ上げる刑に処せられた。徒労の刑、むだ骨の刑。
 理想を掲げ、希望をそこにたくして、新しい社会を創ろうとした青年期から老年期までの人生。それが徒労であったならば、自分の人生は  「敗残の人生」ではなかったかという問いを抱き続けて、正之さんは書き続けている。
 正之さんの息子は、高校生のとき、父母から離れてひとり街に出た。断絶の親子の関係がここにもあった。家族から放され、家族を放した息子との再会。


 <私たちはマンション住込み管理員の職を得、息子は介護施設で働くようになってから顕著になったのは、息子の律義さだった。毎年「母の日」には私の妻である母に、「敬老の日」には大阪の祖母に少しばかり値の張るカーネーションや盆栽の花を贈ってくるのであった。転職後の安月給のはずなのに私の口座に月々一万円の送金を欠かさなかった。私たちには考えたこともやったこともない行動だった。私たちも若い頃北海道で暮らした時代があったが、遠くに居た親たちへの態度としてまったく考え及ばないことだった。面倒ということもあったが、家族・血縁に付きまとうある種の儀礼性というか擬制というものに対して胡散臭いと感ずる感覚もあった。‥‥ずっと後になってたまたま息子の年上の友人から漏れ聞いた話では、息子は「サザエさんのような家族」に憧れていたというのだ。このことは些細なようだが私には衝撃的で、いろんなことを考えさせられた。子どもを放置しっぱなしだった罪責のようなものがまた蘇った。息子はそのことについて親に一言も責める言動はないが、やはり少年時からの親や家族とは疎遠な暮らしが彼にそのような希求を育んだのだ、と思った。そして彼の記念日の贈り物については、互いに「家族」であることを確認し伝える意識的な行為と考えられるのだ。カーネーションはたしかに世の家族倫理的“擬制”だったとしても、それに込めた息子の律義な心情は真実だった。
 血のつながった家族といえども、そこにある程度の意識的な往来がなければ霧散する。今の時代だれもが故郷喪失の根無し草であり、個別家族が最後の拠りどころになる。ただその周囲に適当に距離を置いた自然な人々のつながりが欠かせない。それが不可能に見え、個としての頼りなさを一挙に克服しようとして共同体的擬制に頼りたくなる。母の信仰もそのなかに入ってくるだろう。また私たちの変転多き人生も擬制依存の結果であったというしかない。
 最後に言うなれば、このようになんとか見えてきた認識の地平は、私には只事ではなかった。>

 正之さんは、「敗残の人生」を修正する必要を感じてきた。
そしてこう書いている。

 <今の時点で実感するのは、「生きがいある敗残人生」をせいぜい長生きしたいということである。これまでの母の親愛に加えて、まさにこの認識転換の機会を与えていただいた母に感謝したい。>
 
 ぼくはこの転換にほっと安堵する。「生き甲斐」があるならば、それは「敗残人生」と言えるだろうか。