常念燦爛

レンゲを植えよう、レンゲを復活させようというプロジェクトが斎藤農園の彰久さんたち農家と市民有志で行なわれてきた。今はレンゲの花の一面に咲く田んぼは見られなくなっている。ここもちょっと寂しいレンゲ畑だ。



道祖神桜が開花した。朝早くから写真を撮りに来る人が絶えない。すぐ近くに住む写真家の中沢さんが道祖神をまつり、桜を植えた。それが今、安曇野の名所になった。桜の横の野道を常念岳のほうに上っていくと、畦はつんつんツクシだった。レンゲ田の向こうに四月の常念岳が白く輝いている。

道祖神桜の前に畑がある。そこに水がはられていた。桜と道祖神常念岳を一体にして写真を撮る人は水田のように水がはいった田んぼの向こう側の畦に回らねばならない。ぼくが行くと、その畦でカメラをかまえたままじっと立っている男性が一人いた。その人にとっては、道祖神のすぐ前で写真を撮っている人が邪魔になる。「しかたがないですねえ」とおじさんは笑いながら、桜の木の前から人影の消えるのを辛抱強く待っていた。落葉樹はやっと新芽をふき始めた。葉を落とした裸の樹は、幹のたくましさが、すばらしい。夏の広葉樹の生命力もすばらしいが、裸の樹の姿も魅力的だ。 
村の道から見る常念岳。自転車を道端に立て、ぼくは道路の真ん中で写真を撮ろうと思った。村の屋敷林の間から見る常念は輝いていて、こういう常念もいいなあと思った。常念をアップし、青空と雪の白さを際立たせようとカメラを操作してから撮る。撮り終わってふと後ろを振り返ると、10メートルほど後ろに一台の乗用車がじっと待ってくれていた。ぼくは、それを知らずに、道路の真ん中に立ち、車をストップさせていたのだ。ごめんなさい、と頭を下げた。運転していたご婦人は笑顔で会釈して通り過ぎて行った。あの人も、ぼくの撮るのを待ちながら、常念岳を見つめただろう、そして気づいたものがあっただろう、それほど今日の常念は燦爛と輝いていた。