子孫を残した白樺

 雪の中に葉を落とした白樺が立っている。雪に白い幹が溶け込み、空から舞い落ちる雪片、ラッセルで吐く息の白さ、白一色の世界が冬山の魅力だった。
 信州に移り住んだとき、庭に白樺を植えたいと思った。ホームセンターの植木コーナーに白樺の苗木があったから、それを買ってきて植え、「早く大きくなあれ」と念じていたら、木はぐんぐん伸びて、5年目には家のひさしを越える高さになった。この勢いで生長していったら、電線に届いてしまうなあと少し心配にもなったが、季節は初夏だったか、一匹のゴマダラカミキリがプーンと目の前を飛んでいった。こいつはいかん、と後を追って、庭木に止まったのをつかまえ、そのまま殺すのも抵抗があったから植木鉢を逆さにしてその中へ入れておいた。  二、三日して、植木鉢を引っくり返してみると影も形もない。逃げられたか、それにしてもどうやって逃げたのだろう、分からない。
 それから何日かして、同じゴマダラカミキリなのか、白樺の幹にくっついているのをまた見つけた。これが木の幹に卵を生んだのだろう。幹に小さな穴が開いている。その時に、穴に薬を注入すればよかったのだが、放置していたのが悪かった。1年ほどして白樺は元気がなくなってきた。初夏の新しい葉を茂らせ始めたころに、アリマキが葉っぱに大発生した。そして2年後の春、白樺は芽吹かず枯死した。
 枯れた白樺を根元から切り倒し、白い幹の部分を記念に残して工房の入り口に置いた。
 枯死して2年目の昨年、白樺の切り株から1メートルほどのところから、10センチほどの赤ちゃんの木が2本伸びている。それを見て別段何も思わなかった。どこかから飛んできた何かの種が芽を出したんだろうぐらいにしか思っていなかった。何ヶ月か過ぎたある日、幼樹の幹は薄茶色っぽいつやがあることに気づいた。あれっ、これはひょっとしたら白樺の実生の苗ではないか、枯死する前に、種を落として、それから芽を出した苗ではないか、そう気づいた。
 あの白樺、2世を残したのだなと思うといじらしくなった。よし、これは育てなくてはと、この春、苗床をつくって、そこに移植してやった。1本は玄関近くに、もう1本は工房の入り口に植えた。2本は、まだ背丈30センチほどだが、今新芽を出してかわいい葉っぱを開きかけている。根付けば、また急速に枝を伸ばすだろう。今度はゴマダラカミキリにやられないように気をつけよう。
 小塩節は白樺が好きだった。

 <ケルンの西郊に、ユンカースドルフという村がある。古い街道がケルンからこの村を抜け、ベルギーを経てパリに通じているが、中世以来のこの道、村の中だけ白樺の並木道になっている。村人のよく集まる料理屋が白樺の林の中にある。白樺亭という。‥‥
 ドイツの冬は長くてきびしい。
 何もかも凍てついてしまう冬の夜にも、この店の暖炉では、白樺の薪が明るい炎をあげてよく燃えている。建材や家具にはむかぬが、白樺は油分が多くてよく燃える。他の木が厳寒に立ち割れを起こしても、この木は負けない。広葉樹でこれほど寒さに強い木はない。寒気が猛威をふるっても、やなぎともども早春一番に芽吹く。しなやかな枝先に、なんとやわらかな薄緑色の若芽をつけることだろう。‥‥
 長崎で生まれ育った私は、小学校一年生だったとき雑誌でふと信州の写真を見て、九州にはない白樺という木にあこがれるようになった。未知の国へというより、未知の木にあこがれた。(旧制)高校時代を松本で過ごし、それからもよく山々を歩いたのちのいまになっても、この胸のときめきは変らぬ。‥‥
 ドイツの白樺は大きくて高く伸びるが、その肌はやや黄味を帯び、老いると黒い横筋が入ってしまう。それよりずっと小ぶりな信濃のニホン白樺の、いつも変らぬ神秘的な樹皮の白さときめのこまかさには、ドイツ白樺は遠く及ばない。>「木々を渡る風」(新潮文庫