日本人は何か

 「きだ みのる」という小説家がいた。1895(明治28)年〜1975(昭和50)年。
 文明批評的作品をよく書いた。戦後すぐの渾沌の時期、1948年に書いた作品の中に、「日本人は何かということについて」という、こんな一節がある。

 <我々は日本人というレッテルを貼られている。これは甚だ本当だ。しかし、日本人は‥‥とか、我々国民は‥‥とか、あるいは単に国民は‥‥とか人のいうのを聞くとき、我々はしばしば、胸のレッテルを改めてよく見直したくなる欲望が、おさえられないような場合を経験しなかったであろうか。
 私は政治家の用語例を見て、よくそんな感情状態になる。進歩党でも自由党でも社会党でも共産党でも政府でも、機会があると、我々日本人は‥‥とか、国民諸君は‥‥とかいい、この島帝国の七千万の人間はあたかも水玉が他の水玉に似ているように似ており、夫子自身はいくらかでかい上等な水玉であるかのような印象を与える話しぶりをする。そこには言葉の正当な使用を越えた、言いすぎが含まれている場合が多く、聞いたり読んだりしているうちに、何か行先の違った電車に乗ったような不安に襲われ、あわてて胸の標識を確かめたくなることがある。
 もちろん強いて言えばこうも言えよう。
 どの政党も、我々を育てた伝統と歴史的現実の一分片を含み、そして我々個人もそこにつながれているので、政党の各々とは自然、幾分のつながりを持つことになると。ただ政党は何らかの偏見の上に立脚し、その主張する現実を、宣伝の必要上拡大しているので、その人間像からは何か怪奇な片輪の印象を与えられるのだ。私のような市民は、自分の内側に政党の表さない他のものとともに、共産党から進歩党までの各党の要素を少しずつ見出しているというのは真実である。しかし、ある一つの政党が、ある時期にたまたま私の気にいったことをいったからといって、そのために排他的に、ある党に、しかも一生をかけて所属することはその政策を肯定する私の論理を越え、たまたま親孝行の熱病に浮かされて身売りする娘のような冒険が必要のように思われる。
 こうして同じ言葉が、人によって異なった意味を、無知あるいは独断のために授けられている例は、いくらでも挙げられよう。その結果、万物の霊長とか理性ある動物とか言われるものはどこに住んでいるのか、しばしば考えたくなるほどである。>

と書いて、彼はある部落について書く作品の内容について読者に要求した。
 「(私はある部落に読者を招待するが)この招待にはどんな警戒が必要か。案内者は読者に、読者自身が日本人であるという感じ方を離れてもらうよう要求したい。‥‥私の紹介する部落の英雄や勇士たちが特に日本人であるという考え方を捨てておいた方が賢明である。彼らはいかなる学問的資質を土台にしているのか不明であるが、おのおの俺こそは日本人であるという矜持(きょうじ、誇りのこと)を持ち、あたかも彼が日本人の最初の鋳型であるかのような言説を好んでなすのであるから。」

ここでストップ。
今日は寒気がきびしい。アルプス公園まで上がって一時間半、ぐるっと回ってきた。吹く風が冷たい。夜は日本語教室だ。これから出かける。帰宅するのは9時半近くになる。