日本の村

 「日本の村」(朝日選書102)という著作がある。農村を研究した守田志郎の著で、初版は「小さい部落」のタイトルで1973年に出版された。
 鶴見俊輔は「日本の村」の序文を書いている。そこに、日本の村を見つめ考察した四人の人物をあげている。まず、明治以降の日本にあって、近代文明批判を生涯にわたってつづけた田中正造の意味を研究した林竹二、次に、日本の村のもつ意味に戦争中から注目した「きだ・みのる」、そして、日本の村のつくりだした思想を日本民主化と向き合う姿勢によって雑誌「サークル村」に著した谷川雁、つづいて、現存の日本の農村を確かな実証性でもって分析した守田志郎、この四人である。
 鶴見は、守田の「日本の伝統に対してもつ角度」に大きな印象を受けた。
 「部落というものが波を表に立てないようになっているのは、その慎み深さからでもあろうが、人びとが、今日も明日も、そして将来ずっとその部落のなかで同じ顔ぶれで生産と生活を続けていくようになっているからなのだと思う。‥‥
 よそから物をとってくることもせず、領土を拡大するのでもなく、自ら決めた囲いのなかで作り暮らすという、人間としてのいちばん根本的な存在の仕方を続けていくための、部落における約束ごとをつらぬく大切な原則を、波立たせないという感じの物事の処理のうちに、見なくてはならないようにも思えてくる。消極的に見せかけられてはいるが、そこには大変な積極性が秘められている。」
 思想家の思想ではなく、日本人の思想を守田は考察したと、鶴見は言う。
 「小国寡民を貫徹する部落には、たしかに利己心がある。しかし、その利己心をつらぬくについての償いとでもいおうか、他を絶対に侵さないという強い自制力をもっている。」
 この部落の思想が、今後の日本に生きてくることはないかと、鶴見が考えたのは1977年だった。
 それから日本はどう変化したか、どう変化しなかったか。
 守田が最後にこう書いている。
 「老子が、何によって小国寡民の知恵を得たのか、知るすべもない。
私が、この小国寡民を無上の理念であると感じるのは、その知恵が、部落において体現していることを知ることによるのであろうか。たぶん、巨大化過程における人間軽少化という都市状況のなかに身を置いていることによるのであろう。
 部落は、武力も金力も政治力ももちはしない。小国とはいっても国家ではない。‥‥それゆえ、外の何々力というものにたいしては一方的に弱い共同体である。その部落からのはみだしものが都市にあって、みずからの軽少化をコンクリと鉄の山とそして騒音の大きさとをかりながら、そのいっそうの拡大と誇示のために、あたりかまわず蚕食するのである。‥‥
 都市も、自己の版図をこれまでときめ、そのなかで暮らすと他に約束し、それを守ることもありうるのだと、市民革命をへた国々の都市が語っているとは思えないか。私にはそう思える。共同体社会である日本において、それが可能でないと決めてしまう根拠はないように思うのだが、日本の都市人間における市民の僭称が、拡大と巨大化への歯止めを失わせているようにも思う。だとすれば、理論も矯正されなければならないし、理念も変えなくてはならない。」
 守田はそうして、市民の理念を小農の理念に変えることをその時代に提唱した。
 「侵さずつくり、侵さず食し、人間の値打ちをみずからのなかにためこんでいく、そのいいしれぬ激しさのなかに小農のもつ人間的本源性を見る思いなのである。」
 70年代のこの著作は今もって考えねばならない言であるように思う。