文化の香り

 ふたたびドイツ文学者だった小塩節の文章を引き合いに出す。
その文章は1992年のものだったから、その後の社会の変化があろうが、
変化しない文化の状況を考えて、参考にしてみたい。


「文化の香り高く、音楽の都は威風堂々、
木々の緑は深々と濃く、
ウィーン市の49%は緑、
人種のるつぼであり、
東欧系、アジア系、イタリア人、ユダヤ人、ドイツ人など、
実に多種の民族が共有している。
人情やや重ったるくて、あつい国際都市だ。
東欧民主化が進む中で、東西ヨーロッパを結ぶ、重要な地点であり、
世界の目の一つだ。
そして、人は、パリに孤独になりに行くが、
ウィーンでは緑とカフェと音楽に包まれ、ひたされて、
人間性をとりもどす。
今、同じ20世紀末を迎えている日本は、
ウィーンほどの文化を、とくにあれほどの生活文化を、
後世に残せるだろうか。」
「ウィーンは、音楽の都だけれど、同時にカフェの都といってもいい。
モーツァルトやベートーベンやシューベルトが住んでいた旧市内だけで、
1,500軒ものカフェがあり、
それぞれに個性的な魅力を誇っている。
ウィーンのカフェの歴史は古い。
ウィーンでもザルツブルグでも、2000年前にローマ軍がつくった上水道を使って、
今もアルプスから引いてくる水道の水が冷たくおいしい。
だからウィーンのコーヒーも、うまいわけだ。」
「ドイツの春は、ルバーブ
レモンと煮て、『春が来た』とよろこぶ。
ジャムにしてもよい。
六月は、アスパラガス、
バターでくたくたに煮た白いのを、
感激して食べている。」


 1964年夏に、ぼくは山岳会の仲間とヨーロッパからインドまでのシルクロードの旅をした。ウラジオストックからモスクワ経由で出発点のベネチアに入った。その途中、ウィーンで何日間か遊んだ。夜に、マリアテレサの宮殿で夕涼みの巨大なレコードコンサートがあるということを聞いて、出かけた。
 宮殿の中に入ると、庭園の向こうに宮殿の建物が黒々と横たわり、外灯は消えてどこもかしこも暗かった。
 宮殿の各所にスピーカーが置かれているらしい。市民は思い思いの場所に座ったり立ったりしていた。レコードコンサートが始まる。
 音楽が庭園に響き始めると、宮殿の窓に明かりがともり、その前にある泉水から水が吹きあがった。宮殿の窓の明かりの数と噴水が、演奏に合わせる。フォルテになってくると照明が建物を浮かび上がらせ、明かりの点いた窓が点々と増え、噴水は白く高く上がる。ピアノになると小さくなっていく。
 そんな夕涼みコンサートだった。もちろん無料。
 カフェ文化、音楽文化、公園・木々・花々、歴史遺産、人種の国際性、それらが市民の生活の中に息づいていた。
 「日本は、ウィーンほどの文化を、とくにあれほどの生活文化を、後世に残せるだろうか。」
 この文章から20年たった。
 安曇野や如何。日本や如何。
 安曇野市は、オーストリアのチロル州の町、クラムザッハと姉妹都市関係を結んでいる。インスブルックの近くの美しい町だ。28年の長きにわたって、かの地を知り、学んできた。
 美しい環境を守り育てる、その精神はどのように活かされてきたのだろうか。