春

ニオイスミレが庭のあちこちに広がり、いい香りを漂わせる季節が来た。外出から帰宅し、入り口を一歩入るとスミレの芳香が迎えてくれる。帰ってきたよ。お帰り。ほっと安堵の気分。心が和み体が和らぐ。大和の御所から安曇野に引越ししてきたとき、家財道具と一緒にトラックの片隅に乗ってきたスミレ、どんどん増えている。
 ご近所の大友さんが、道から声をかけてきた。
「スミレ、咲いていますよ」
「ええ、ニオイスミレですよ。外から帰ってくるとこの香りが迎えてくれるんですよ」
「ふーん、いいですねえ」
 ボケの花芽がふくらんできた。この数日の温かさで木々は確実に発芽を進めた。昆虫も、動き始めた。アシナガバチが納屋のなかにいた。外に出して太陽の当たるところにおいてやったら、動き出し、しばらくして見ると姿はなかった。畑の石を動かしたら、アリの巣があって、巣穴から出てきたたくさんのアリが活動を始めていた。まだ冬枯れの田んぼのどこかで蛙らしき声が聞こえた。
 ストックを両手に持ってゆっくり歩いている、いつものおばあちゃんに声をかけた。
「アルプス公園まで行ってきましたよ」
「ええっ、すごーい。私は腰とひざとが痛くてね。ひざの手術をして、半年になるんですよ。やっと歩けるようになってきましたよ」」
 クリスマスローズの花が咲いた。これも奈良から持ってきたものだ。クリスマスはとうに過ぎ去って、名前に合わない春の開花だ。奈良にいたときから、日かげに植えたこの花はあまりに地味で、花が咲いても自己主張もせず、目立たない存在だった。この花も株分けして、2箇所で咲いている。
 みよ子さんと一緒に暮らすようになったお姉さん、この冬に、肩を骨折して、散歩も外出もできなかった。今日、久しぶりに庭の掃除をしている。みよ子さんとの散歩にも出かけるようになった。
「冬ごもりは終わりだよ」
  スイセンが咲きはじめた。ニオイスミレのなかにすくっと立っている。いろんな種類のスイセンが、それぞれ群落を作って、庭のなかで開花の発表会がこれから始まる。
 庭の畑の畝立てをした。真ん中に深溝を掘り、発酵鶏糞を入れた。夏の西日を防ぐ夏ツバキを先日飢えたが、今日は東からの太陽光を和らげるために、ピンクの花を咲かせるムクゲを玄関前に移植した。このムクゲは自然に生えてきたものだ。
  一昨日はまた里山の上半分が雪化粧していた。アルプスは冬のままだ。それでも、春は急ピッチで進行している。ツルハシを振るっていたら、汗だくになる。服を一枚脱いだ。
作業をしていたら、
「何、植えるだね」
という声が聞こえて、裏の入り口からゴールデンレトリバーのリキが現れた。矢口さんだった。
「野菜の種を播こうかと」
「私は5月ごろだね。今はまだ霜が降りるでね」
 矢口さんは、ひざを痛めていた。歩くのも痛そうだった。
「雪の日に、道路が凍結していただね。すべってころんだだ」
ひざの骨を折ったのだという。それがまだ十分治らない。
「調べてもらったら、関節にまだ骨のかけらがあっただ」