二つの敗戦<4>

 国家権力が道を誤ったときの犠牲は大きい。国を守るために、国民は弾丸となり、盾となった。たくさんの秘密を作り、国民の自由を奪い、犠牲を強いた。そして1945年の敗戦に至った。
 日本はそこで歩む方向を改めた。しかし、そこからまた道を誤った。方向修正をすることなしに、従来からの経済成長発展道を歩み続けて、「フクシマ」に至った。
 「フクシマ」は第三の道へ転換せよと、教えている。フクシマからの転換は原子力政策、エネルギー問題にとどまらない。文明の転換を示唆している。人間の生き方と社会の形成の仕方を考えよと言っている。自然史、人類史の、長い歴史の流れを振り返り、未来を展望して、今を考えよと伝えている。
 すべてが消えた無人地帯、人の住めない街、故郷に帰還できない人、帰還しない人、大きな犠牲となった。それを単なる犠牲に終わらせてはならない。
 先回の東京知事選は、この新しい道を浮かび上がらせた。

 1945年の敗戦後、いろんな思想が勃興し、さまざまな行動が澎湃として起こった。絶望のエネルギーが希望のエネルギーになった。
 2011年、第二の敗戦とも言える事態が起こった。それから3年たった。日本の理想と誇りはいずこにありや。今何を創造せんとしているや。

 2011・3・11のあと、さまざまな論があった。
 「暴走して敗戦した太平洋戦争と原発震災を招いた戦後のエネルギー・原子力政策。二つの焼け跡から今度こそ失敗の本質を学び、やり直さねばならない。」(飯田哲也
 「放射性物質を閉じ込めるしか方法のない未熟なテクノロジーを、利潤第一主義で押し付けた政治体制であった。」(矢ヶ崎克馬)
 「切れ目のない命を、そのものとして生きることから、科学技術文明国家・社会は遠く離れてしまった。そのことを問題にする学問・研究は、学問・研究とは何かを問う学問論的学問でなければならない。」(最首悟
 「原爆が投下された夏の日だけ、日本人は核廃絶を謳う。今回の事故を経験した私たちは、真摯に事故の検証を行ない、情報を世界に発信し、地球規模での“核エネルギー再考”を訴えていかねばならない。」(菅谷昭)
 「我々は、どんな地球文明をこれから築いていくのか、どちらの方向に進めばいいのか、一人ひとりが考えるときではないか。昨日まであった世界が、そのまま明日も続くことはない。」(坂本龍一
 「地震は日本社会に再統合を、原発事故は分断を生む。制御できないものが自分たちのそばにある。我々に必要なのは、この危機を規定することのできる意思を練りこむ想像力だ。」(宇野常寛
 「東日本大震災は3.11で終わったのではなく、世界のこれからを揺さぶることになるかもしれない。」(吉岡忍)
 「この悪夢は人類が核の扉を叩いて以来、パンドラの箱の中に育み続けてきたものかもしれぬ。いまそのふたが開かれて、ありとあらゆる禍が飛び出した。しかもこのふたがいつ閉めうるかも定かではない。パンドラの箱のように、底に希望が残っていると信じたいが。」(チェルノブイリ事故後、故・高木仁三郎