歩く人のための小径が文化をつくる <2>

 「歩くこと」を楽しみ、「歩く文化」を立ち上げたい。
 フットパス、すなわち歩くための小道がどれだけ発達しているか、それはその社会の文化度を表している。日本の巡礼路はというと四国のお遍路、スペインの巡礼路は、キリスト教の聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。フランス各地からピレネー山脈を越えて聖地を目指す。
 日本では一時期、東海自然歩道とか近畿自然歩道とか、長距離の小径が整備された時代があった。1969年(昭和44年)、厚生省(後に環境省)が提案し、関係自治体の協力のもとに整備が始められ、1974年(昭和49年)に完成した。今それは歩く人は少なく、整備も充分ではない。 最近、日本でもロングトレイルという山のなかの長い道が人気を博している。ロングトレイルとは、「踏み跡」の意味で、人が歩いて地域の自然や文化を楽しむ道のこと。アメリカ、ネパール、ヨーロッパなどに世界的なロングトレイルがある。
 イギリスのパブリックフットパスをはじめとして、ヨーロッパには「歩く文化」が根付いている。
 チロルを何度も訪れ、インスブルッグ大学とも関係が深い環境学者松田松二氏がチロルの小径について書いている。松田松二氏は、長野県自然保護研究所(現在の環境保全研究所)の活動にも貢献されたという。
 インスブルッグはチロル地方の谷間の小さな都市である。街の北と南に3000m前後の山々がそびえている。氷河をいただく山もある。街の南にシュトュバイタールという谷がある。

 <麓の斜面という斜面は、なでてみたくなるような優しい緑におおわれ、とんがり帽子の教会を中心に、紅い屋根と白い壁の家々が小さな集落をつくって散在する。集落と集落を縫って、窓の白い、赤い小さな電車が走っている。さしずめ谷全体が巨大な公園と言っていいだろう。どの一角をとっても歩いてみたくなり、登ってみたくなる。谷には小径がよく発達している。自然と付き合う第一歩は歩くことだろう。歩いて軽く汗ばみ、木陰に腰を下ろし、肌に涼風を入れるとき、内なる自然も目覚めて生命の躍動を感じる。この谷には健康を増進させる仕掛けがいっぱい用意されているようだ。観光バスを連ねる画一性よりも、多様性を志向していることは一目瞭然だ。有名な観光地への大きな自動車道ばかりが目立ち、小径に対する配慮の少ない国の人びとは、いったいどうやって自然と付き合っているのだろう。チロルでは、各自治体が、自分たちの村に、散策用の小径が何キロあるかを誇っているようだった。この相違は単純なことのように見えるが、両者の間に大きな哲学的ギャップを見ないだろうか。相当な僻地へ行っても、かそけく自然を求める市民がいて、有名観光地への一点集中はそれほどひどくない。これは、個人の主体性とか個人主義の発達と深いかかわりがあるだろう、とウィーンの仲間は言っていた。山に小径がたくさんできるようになれば、それほど社会の成熟度を表す一つの指標になるかもしれない。とにかく、自然との付き合い方は、文化の形態に影響を与えるし、自然から離れれば文化は堕落さえする。>(「環境学者の見たチロル」山と渓谷社


 「歩く文化」の衰退は、日本経済の動きと無縁ではなかった。富の蓄積と楽で便利な生活へと走りつづけ、車が道路を独占するようになるのと並行して、「歩く文化」が衰えた。日本の文化と日本人の暮らしは内向きになり、地域住民の生活の開放度が低下した。
 歩いて観察する、発見する、自然・風土を楽しむ、同伴者と会話する、感想・感情を交流する、助け合う、現代人はこのような「歩く文化」の豊かさを失ってしまった。
 戦後の経済発展至上主義は、さらに追い討ちをかけて「歩く文化」どころか、原発事故による住む権利まで被災地から奪った。

 フットパスが行政と市民の手によって安曇野でつくられ、信州に広がれば、それこそフットパスが町や村をつなぎ合わせ、美しい小径をつくろうと、地域に調和の美をめざす人々が現れ、新たな文化が芽吹くだろう。フットパスの道筋に雑木林をつくり、小川を流し、子どもたちが戯れ、景観にぴったしの茶店・カフェがあり、花を愛で小鳥のさえずりを喜ぶ。
 内へ内へ閉じこもっている住民の暮らしぶり、子どもたちの内向き生活が、外へ開かれていくだろう。
 ハコモノをつくれば一体化するという行政の鈍感政治ではなしえないことが、一点から始まって他の局面に波及し、地域を変えていく、そういう行政の変革を考えられないだろうか。