歩く人のための小径が文化をつくる <1>

 イギリス発祥のパブリックフットパスが、日本でも、いくつかできている。まだまだ点に過ぎないが。イギリスでは全土に網の目のように作られているが、日本ではこの実践が定着していない。「パブリック」は公共、「フットパス」は小道の意味である。
 今日の朝日新聞に、里山の風景が残る多摩丘陵で、フットパス歩きが人気を呼んでいるという。「ここの風景は幕末頃からほとんど変っていない」という東京都町田市小野路町に、多摩丘陵をめぐるフットパスがある。雑木林のなかを行く小道、田んぼがある、村、社寺、史蹟がある。多摩丘陵では22のコースがあるという。
 「日本フットパス協会」というのも5年前につくられている。協会は町田市観光コンベンション協会内に事務局を置いている。加盟しているのは7市町とNPOなどの30団体。協会では、東日本大震災で被災した東北地方で、フットパスを普及させ、地域を復興させたいと考えているという。道づくりが町づくりになり、自然環境を保護し、自然と調和した風土の暮らしがよみがえる。
 ぼくが「フットパスを安曇野に」と提唱し始めたのも、5年前だった。このままでは安曇野の美はじりじりとやせ衰えていく、環境に対する意識と感覚をとりもどさないと、まったく魅力のないところになる、と危機意識を感じたからだった。
 そこで5年前に「安曇野市景観審議会」委員の公募があったから申し込んだ。行政が決めている委員が多数で公募委員は若干だった。公募には小論文の提出が課されていた。そこで、当時次のような文章を書いて安曇野市に提出した。
 
 <奈良在住のとき、「滅びゆく大和」とも言われた環境の激変を観てきた。高度経済成長と共に始まり、歴史と自然、田園が調和した麗しき大和の国は、無秩序な開発や行政の無策、住民の無自覚無関心によって見る影もなくなった。それは日本全体に共通するものでもあった。安曇野はどうなるだろうか、それは瀬戸際にあるように思える。
 安曇野を「憧憬の安曇野」に変えていく実践とは何だろうか。
 審議会のテーマに「良好な景観を創出する」とある。それは現状維持ではなく積極的に創っていくという意味を込めたものだ。人間は生きるために環境を変え、それにともなって景観も変容してきた。
 ヨーロッパのチロルを研究してきた環境学者の松田松二氏は、「天上から吊り下ろされた楽園」と呼ばれたチロルの美について、「チロルの美しい景観は単なる自然的環境要素の寄せ集めではない。至る所に人間の営みが加わり、それらが独自の景観を創り出している。」と書いた。住民の自然との交わり方は自覚的なものであり、「自然と結ばない文化は堕落する」とも述べている。
 良好な景観は、田園、街、道路など人間のつくったものと自然との調和の世界に存在する。良好な景観は心と身体にいやしをもたらす。
 安曇野に来て驚いたことの一つは、散策する人の少なさだった。環境は、「歩く」という行為を通して、より直接的に、感覚的心理的、肉体的にとらえられていく。イギリスは、パブリックフットパスの思想を稔らせた。人間は歩く権利を持っているのだと、国土の至る所に、車の入らない、人間の歩く小道を通した。それは既にある小道をつなぎながら、私有地も歩けるようにして生まれた。イギリスの実践は、産業革命によってもたらされた惨憺たる環境破壊を乗り越え、1人の100万ポンドよりも100万人の1ポンドを合言葉にしたナショナルトラスト運動に結実し、やがて世界遺産の広がりにつながっていった。「この景観は100年かけてつくってきた、これから100年後も変わることなく続くだろう」と、住民が誇りに思う景観、それは住民の意識的、自覚的な実践の賜物である。
 安曇野の環境は、全体の調和を考えることなく、成り行きのままに手を加えられてきた結果ではないかと思う。近景、中景、遠景、どこを見ても、どこに位置しても美しいという景観ではない。小学校中学校での教育も含めて私たち市民がなすべきことは、まず自分たちの郷土を知ることである。価値ある景観は何か。誇るべき環境は何か。美はどこにあるか。
 麗しき人情と美を感じる心とは無縁ではない。
 具体的なポイントは、「アルプス・山林・河川と田園、そして建造物との調和」「芸術文化伝統行事と風土」「住宅・建物と樹林の関係」「道と並木がつくる調和美」「全体観に立った美しい街づくり」であると考える。私は、景観にとってすぐれた実践となる建造物や、景観にとって価値ある樹木などを、安曇野文化財、記念物として認定表彰していくことも進めるべきであると思う。>

 そして市民や旅行者が、安曇野を自分の脚で歩くことで、環境が体にとらえられ、心が感じ、具体的な美の創出が始まるのだと、パブリックフットパスの導入を訴えた。
 まず一つの具体的な行動が市民と行政によって実践されるようになると、それは他分野に波及する。風土に対する美意識、誇り、愛着が育まれ、環境保全への意識が涵養され、健康促進にも役立ち、市民の連帯感が生まれる。総合的な広がりを持つ。小中学校の子どもたちへの教育にも効果的である。
 ぼくは毎日約1時間、安曇野を歩いている。9年間歩き続けてきた。この道はフットパスに指定できる道だなと思えるコースをいくつか見つけた。国営アルプス公園とJR豊科駅を結ぶ、約2時間のコースもある。
 5年前、審議会委員には任用されなかった。いかんせん一介の名もなき市民、行政は軽く一蹴した。
 それからぼくはいくつかの市民運動にかかわりながら、今に至った。我が思い、いまだ何も実現せず。
http://www.japan-footpath.jp/ 日本フットパス協会