棄民


 時代が動いているなと思う。社会が変わっていってるなと思う。いったいどちらへ向かって動いているのだろう。寒々としたものを感じる。
 ラジオの「姜尚中和合亮一の対談」のなかで、福島原発事故における「棄民」を語っていた。福島原発事故での「棄民」と言えば、被災して住居、仕事、健康、家族を奪われた人々もそうだが、原発現場の作業にあたる底辺労働者も棄民的である。
 「棄民」すなわち国家が政策によって民を棄てる、犠牲を強いる、そういうことが組織的に起きるようになったのは、国民国家が成立していく近代になってからである。足尾鉱毒事件において、海外への移民において、戦争において、水俣公害において、国家が国の都合によって、政策によって、国民に対して「棄民」が行なわれた。
 国家権力の最も強固なとりでは、軍隊と警察で、大日本帝国の軍隊では、捕虜になることを許さず、脱走は認めず、組織の中にがんじがらめに縛り付けた。ところが、大岡昇平の小説「野火」に描かれているのは、「棄兵」とも言える「兵を棄てる」という事実の存在である。
 フィリピン、レイテ島の日本軍は圧倒的なアメリカ軍の攻撃に遭う。田村一等兵結核を発症し、接収した民家を使った野戦病院に送られた。しかし病院では食料も医療品もすべてが足りないために、入院はさせられないと、部隊へ戻れと命じられる。部隊に戻ってきた田村は、「お前のようなものは飼っておく余裕はない、食料もままならないのに、部隊におくわけにはいかない」と即刻病院へ戻るように命令される。病院に来ても同じこと、「部隊に戻れ」、何度もそういう玉突きに会う。両方からはねのけられた兵士がほかにもたくさんいて、彼らは行くところなく、病院の前に座り込んだり野外に野宿したりしながら、命を落としていく者もあった。
 「彼らは大部分内地から私と一緒に来た補充兵である。輸送船の退屈のなかで、我々は奴隷の感傷で一致したが、古兵を交えた三ヶ月の駐屯生活の、こまごました日常の必要は、我々を再び一般社会におけると同じエゴイストに返した。そしてそれはこの島に上陸して、情況が悪化するとともに、さらに真剣にならざるをえなかった。私が発病し、世話になるばかりで何も返すことができないのが明らかになると、はっきりと冷たいものが我々の間に流れた。危険が到来せずその予感だけしかない場合、内攻する自己保存の本能は、人間を必要以上にエゴイストにする。私は彼らの既に知っている私の運命を、告げに行く気がしなかった。彼らの追いつめられた人間性を刺激するのは、むしろ気の毒である。」
 食料はすでになかった。兵士たちは出動して、現地のフィリピン人の畑から芋やバナナを集めて命をつないでいた。
 「喀血して荷がかつげない私は、食料収集に加わることができない。私が死ねと言われたのは、このためである。」
 実質的に追い出され、保護されることから見離されたものたちは、行くところなしに自分で食べ物を探した。しかし病気や怪我をしているものはそれが充分にできない。結局死んでいくしかなかった。田村一等兵は死ななかったが、敗残兵として山野を徘徊して、持っていた銃で現地人を殺してしまう。あちらの山からもこちらの山からも野火が上がるのが見えた。とうとう田村は銃を棄てる。投降しよう、彼はそう心に決め、行動に移すがそれも失敗してしまう。精神が狂い出すのはそれからだった。
 有無を言わさず、赤紙一枚で召集された兵たちは、国家による巨大な「棄民」であった。