福島を支援する活動

<写真:夏の福島の子どもキャンプ>

 昨日の午後、崇さんと安曇野社会福祉協議会本所へ行った。今年度共同募金からの助成を希望する団体が企画内容を順次プレゼンテーションすることになっている。発表する時間が来て会場に入ると、審査する理事たちが十数人ぐるりとコの字型に座っていた。崇さんが、この夏も「安曇野ひかりプロジェクト」で企画している福島の子どもたちを迎える「第三回保養ステイプロジェクト」を説明した。その後に、質疑応答があった。
 発表が始まるまで控え室で待っていたとき、同じく横で順番を待っていた人が福島浪江の地図を見ておられた。長髪に白いものがだいぶ混じっている。崇さんがあいさつを交わしたことから、初めてお会いするその人は、被災地を支援するもう一つの団体の中村さんだと知った。3.11後に、被災地に入って、炊き出しなどの支援をしてきた人で、ワサビーズというバンドを組む演奏家でもある。昨年、福島の浪江町から仮設住宅に避難している人を訪ねてその悲惨な実態を知り、今年5月、ぜひその人たちを安曇野に招待して、元気になってもらおうと仲間と考えた。そして企画を立て、チャリティコンサートを安曇野市の5会場で開催しておられる。
 思いがけず被災地支援の二つの団体が初めて会い、あいさつがてら情報を交換することになった。中村さんたちも資金を集めることを兼ねて、被災地のことを知ってもらおうとコンサートを開くが、悩みは共通して、人が集まらないということだった。こういう企画が行なわれているということさえ、市民に伝わらない。話し合っていると共感しあうものがあった。震災、原発事故は、当事者でない人たちにとっては、過去のものとなりつつあるようにも感じる。3.11は終わるどころか、今も苦しみは続いており、人を傷め続けているにもかかわらず、世間の人々の意識のなかでは既に風化の段階に入っているように思える。
 中村さんたちのプロジェクトは、5月の安曇野がいちばん輝く季節に、浪江から30人ほどを招いて、安曇野、大町、善光寺という癒しのプログラムを準備したいということだった。雪の北アルププスが水田に映る、緑と花の季節だ。最高の季節に御招待する、それもいいなと思う。ぼくたちの「安曇野ひかりプロジェクト」は、真夏の8月、生命が燃え上がる時季に親子をまねく。
 二つの団体、互いに連携して、プロジェクトを市民に知らせていきましょうと確認しあった。
 待ち時間の間、崇さんとも話し合えた。以前から聞いてみたいと思っていたことがある。
 「崇さん、海外に行っていたとのことだけれど、どこだったんですか」
 「ボリビアです」
 「え、ボリビア? じゃあ、あの協力隊で?」
 「いえ、青年海外協力隊ではないです。ボリビア、知ってるんですか。知らない人がほとんどで」
 「よく知ってますよ。支援もしてますよ」
 「じゃあ、あのトイレの?」
 「そうそう」
 ぼくの応援している運動は、トイレのないボリビアの村にエコトイレをつくる活動だ。崇さんはそれとは別の活動で、1年間ボリビアにいたとのことだった。また彼は、インドのマザーテレサの家でも活動してきたとのことだった。北アルプスの山小屋でも仕事した。奥さんの悦子さんとはカトマンズで知り合った。中高の体育の教員免許を持ちながら学校に就職せず、自然の中での野外活動を業とし、自由に社会活動にたずさわってきた彼の人生もおもしろい。今は福祉施設で週に数日働き、「どあい冒険くらぶ」を開設して子どもたちの自然体験教育を実践している。
 8月17日からは「福島の子どもキャンプ」だ。2012年から毎年行なっているこのキャンプを、崇さんは、天が与えてくれた活動だと、生き甲斐を感じている。
 プレゼンテーションが終わって帰るとき、車の前で交わした会話。
 「崇さんの人生を記録に取っていかなけりゃ。メモを取り、記録を残してくださいよ」
 「そんな文才がないです」
 「文才は関係ない。その時その時の、胸の中から湧き上がってくる思いを記していくんです。それやってくださいよ。」
 崇さんのユニークな冒険人生、記録に残していかにゃならん。
ハッハッハ、崇さんは笑いで応え、さようならをした。