この夏の被災地支援、安曇野保養プログラム


 3.11東日本大震災後の、「安曇野地球宿」(安曇野市三郷)を拠点にした活動は、めざましいものがあった。「地球宿」の主である望三郎君は、支援組織「ひかりプロジェクト」を立ち上げ、それに地域の人びとがたくさん参加した。「ひかりプロジェクト」は被災地の避難者を受け入れ、被災地へ物資を送り、イベントを開いて資金をつくり、震災地ボランティア活動にも人を送った。彼らの活動はその時限りの活動ではなく、継続して被災地の人々を支援するものだった。活動は今も続き、新たな展開を考えている。
 先日、「地球宿」の望三郎君と、その地区で「子ども冒険クラブ」の活動をしている大浜さんとがやってきた。相談があるという。大浜さんは、地元を流れる黒沢川を拠点にして、年間通じて主に土曜日日曜日にテント生活をする子どもの自然学校を組織・運営をしてきた。学校が夏休みになると、一週間テント生活をする。すべて子どもたちが自分でつくっていく生活である。地元の子どもだけでなく都会から参加する子もいる。
 
 望三郎君たちの話というのは、今年の夏、福島の被災地から家族単位で希望者を受け入れる「保養プログラム」の企画だった。
 先だって、望三郎君は「ひかりプロジェクト」の総会を開いて一年間の活動を振り返った。そのときに、この夏の企画が出た。
 震災直後「地球宿」に避難してきた小さな子どもを持つ親たちのなかから、この地に移住してきたいという人たちが出てきた。「ひかりプロジェクト」はそれに応えて住居や仕事を応援し、何人かが居をこの地に移した。安曇野に移住してきたママたちは、安曇野の野菜を被災地へ送る『野菜のかけはし』の活動を始め、その『野菜のかけはし』の人びとが、この夏に福島の被災地の人たちの保養プログラムを安曇野で企画したいと発案したのだった。どんな企画にしたらいいだろうか、二人の来訪はその相談だった。
 昨年、「福島の子どもを放射能から守ろう」という福島の親の会の願いに応えてぼくは安曇野キャンプを企画した。結局その案は実現せず、社会福祉協議会が引き継いで実現させたキャンプ企画にぼくは参加した。その体験から、参考意見を聞きたいと彼らは言う。
 安曇野社会福祉協議会という公的機関の企画と、民間の小さな団体の企画とではおのずから内容も異なってくる。昨年のあの夏の企画は、参加した子どもたちは全く受身だった。自分たちで暮らしをつくるということがなかった。昼間の活動の受け入れは各地の団体が持ち回りでおもてなしの心を発揮し、安全面に気を使い、おもしろく、楽しく、お膳立てをした。一週間足らずのキャンプは盛りだくさんで、結局地元の子たちと友情を育むものにはならなかった。
 ぼくはこうアドバイスした。もしこの夏に、「ひかりプロジェクト」で企画するなら、内容をもりだくさんにしないで、子どもや家族が自分たちで今日は一日どうするか考えながら、ゆったりと生活をつくっていくものにしたほうがいい、家族単位で参加する人たちに対しては、その家族の希望を尊重し、選択できるプログラムにする、何日間か食事を自分たちでつくりテントで生活もする、子どもたちが一日、虫捕り、川遊び、探検、基地づくりをし、夜は星空を眺め、キャンプファイアをする。そういう自由な遊びのたっぷり入った活動が子どもたちの心に深く残る、お仕着せはやめよう、ぼくの意見はそういうことだった。 


 昨日、望三郎君から「ひかりプロジェクト」のメールが入っていた。
「一度保養プログラムについての話し合いの場を設けたいと思います。現段階では、宿泊を増田の地球宿、滞在中のメインプログラムを大浜夫妻のどあい冒険クラブで、と考えていますが、改めてみんなの意見を足しあって、よりよいプログラムを創っていきたいと思います。費用の面での協力を『ひだまり茶屋『』をはじめとする『ひかりプロジェクト』の活動、また地元の仲間たちからの協力も必要で、保養プログラム作りを通して、より被災地とつながり、僕たちも手を繋ぎ合うことができればと思っています。話し合いの場をGW明けの7日(月)、8日(火)、9日(水)、10日(木)、11日(金)のいずれかの夜に持ちたいと思います。保養プログラムづくりに関わりたい人、一緒に創ってくれる人、資金を生み出すなど後方支援をしてくれる人、ぜひお願いします。」