100歳、まど・みちお『魚を食べる』



       <蚕部屋のある安曇野の旧家>


まど・みちおさんが100歳になられたと知った。
まどさんの全詩集をこれまで2回読んだ。
読むたびに、どうしてこのような人間性が生まれてきたのだろうかと不思議になる。
まどさんの豊かな感受性と純な心、宇宙・自然・人間を見るまなざしの深さに驚く。


まど・みちおの詩集の中に収められている、散文詩と言っていいのか、こんな短文がある。


     ▽     ▽     ▽


    魚を食べる     

 私は独り者のせいであるか、一日中で、御飯を食べる時が一番もの淋しい。淋しいって言うのか、何かこう、しみじみとものの哀れのようなものを感じる。「又今日も御飯を食べる時になったのか」と、年老いて正月を迎える度に、誰しもが感じると言う淋しさにも似ているのであろうか。それで三度の食事は、私の一日の生活に於ける内省的なアクセントになっている。私は商売柄(私はこれでも土方の片割れだが)一日中田圃や野っ原を駆けずり回って、土に、空気に、太陽にまみれ、およそ盲滅法な生活をしているけれども、ただ、三度の御飯だけはゆっくり食べる。御飯の一粒一粒を数えるようにして、しんみりと味わいながら食べる。そして、ただじんわりじんわりと口を動かしていることは、食べているというよりも、むしろ大きい自然と共に、見えない真理と共に、呼吸しているような気さえして、不知不識(しらずしらず)に深い思索の旅へ出たりすることもある。ことに夕食など、四角い飯台に向ってひとり、黙として箸を運んでいると、まわりのおひつやら、皿やら、皿の中の紅い人参などから、じわっと凝視されているようで、漠然としたうしろめたささえ感じる。また自分ひとりが毛色の変わった生き物であることが、何か除け物(のけもの)にでもされたようなもの足りなさを覚えさせたり、誰へともない申し訳なさを感じさせたりもする。そうかと思うと、食事ごとにずらりと私を囲むこれらの顔なじみに、何か一言言いたくなって、九官鳥に「コンニチハ」と言う筆法で、噛んで含めるようにして「コンニチハ」と、言ってみたりすることもあるが、そんな時のこの連中はみんな体を耳にし、必死で私の言葉を理解しようと努力する。だから私の「コンニチハ」は一度に吸収されて、吸い取り紙が水を吸い取った後のようにあっけない静かさが残り、ますます淋しくさせられてしまう。
 又これは、いささか読者の前で失礼かとも考えるのだが、私は、あまりにも哀れにしょぼしょぼと濡れた煮物などをつついている私自身を見るに見かねて、「俺にしてもやはり一人の男であってみれば、世界中の人間の半分はいるという女のうちの、せめて誰か一人ぐらいやって来てこの飯の一椀をよそってくれたって、決して罰は当たらないであろうに――」などと、しんからめそめそすることもある。
 とまれ、御飯の度に私はどこかへ忘れていた私を探しあてようとする。


    ▽     ▽      ▽


まどさんは、何歳のときにこれを書いたのか分からないが、100歳の今だって、同じような食事であるような気がする。
ひとり、飯台に向って、米粒や人参や大根に、「コンニチハ」とあいさつして、寂しくなっている。
詩の多くが、何げないふだんの生活の中で見たもの、聞こえたものを対象にしているが、
この短文は、自分の暮らしへの、ぼそぼそとしたつぶやきだ。
まどさんの視線、心が向けられたものへのつぶやきのような言葉は、平易な素朴な表現だが、真理を射抜く。
どんなに小さいものへも、見えないものへも、まどさんの心がとどけられていく、まど・みちお詩の美しさ。


     アリ


  アリを見ると
  アリに たいして
  なんとなく
  もうしわけ ありません
  みたいなことに なる

  いのちの 大きさは
  だれだって
  おんなじなのに
  こっちは そのいれものだけが
  こんなに 
  ばかでかくって‥‥


里山」の言葉を生んだ森林生態学者の四手井綱英さんが亡くなられた。
97歳だった。
まど・みちおさんとは3歳ちがい。
四手井綱英さんの風貌と、まどさんの風貌が、似ているような、
人柄も似ているような、ぼくの頭のなかで勝手につなげている。
四手井綱英さんは、国の林野行政を批判し、終生森を守る人生を送られた。
京都の山科だったか、一度お訪ねしたことがある。
昔ながらの古い町家は、驚くほど小さく質素だった。
家の周りも、庭も、庭師が入って手入れした跡はなく、見るからにほったらかし、草も木もぼうぼうと茂っていたという記憶がある。
部屋中に文書や書類が積み上げられ、そのなかに埋まるようにして、お茶をいただいた。
京都大学名誉教授でもあられたが、
初対面のぼくを招き入れ、たくさん話をいただき、
その磊落な、庶民的な、謙虚な人柄に敬服した。
どんな晩年だったろうか。