小中一貫校の教育創造に向かうM君に贈る言葉


今年も碌山美術館で、碌山忌の催しが行なわれる。4月22日(日)。それにむけての合唱団の練習が始まった。この写真は以前の碌山忌のもの。


 M君が、この4月1日に開校する「小中一貫校」の教師として任務に就くことになったと、彼からの電話で知った。この十年余り、彼は困難な教育現場へ、教育行政の意を受けて赴任し、学校現場の要請に応えてきた。彼はもともと正教諭だった。人生の半ばで、一つの理想を抱いて退職し別の道を歩んだ。そして再び教職にもどったのだが、教諭として何度もチャレンジしたが採用されず、毎年期限付きの講師として現場のニーズに応えて学校を異動し、十年余りが過ぎた。彼の身分は講師であるけれど、仕事ぶりは教諭とか講師とかの枠を超えた働きをし、学年主任を勤め、勤務校にとってはなくてはならない存在となっていた。そして、この四月、講師という身分のままに新しい試みの舞台に立つ。待遇の不条理をかみしめながらも、彼は一切の手抜きをすることはなく、再び新たなチャレンジをするだろう。
 大阪のひとつの地区の小学校と中学が一つに合併すれば、九年生とも言える学校になる。そこが次の舞台だ。時代の流れで少子化が進行し、小中一貫校は全国のあちこちで誕生している。M君が赴任する一貫校の一方のY小学校は彼の母校であり、その一方のY中学校は、1970年の創立前後、ぼくが13年間にわたって勤務し、実践を行なった学校でもある。
 当時、Y中学校は、大阪の教育にとってはひとつのエポックであった。その学校が、42年の時を経て、小中一貫校として今年新たなスタートをする。
 ぼくは、チャレンジのスタート地点に立つM君に、次のメッセージを贈る。



 M君へ。
 1970年のY中学創立の時代、教師集団は熱烈な意欲をもち、膨大なエネルギーを発揮して、研究と実践に励みました。教師たちは、教育革命をおこすような情熱で実践に取り組み、その時代の日本の教育にも少なからぬ影響を与えました。
 今その学校が一貫校に変わります。新しい教育実践の創造です。教師にとっては、未知の海に乗り出す航海者のような心境でもありましょう。草創期、隣り合う小学校と中学校の教師は、互いに敬意をはらって、連帯していたことが思い出されます。互いに切磋琢磨する研究熱心な教師集団でした。新しい一貫校も、自分の個性・独創性を発揮し、みんなで討議して実践を生み出すチームワークのある教師集団を目指してほしいです。
 一人の教師の、教育にかける情熱は、その人ならではの実践を生み、子どもたちの学びと育ちに響いていきます。一人ひとりの教師の個性的な実践が響き合うと、教師集団の総合的な教育も影響を受けていきます。教師一人ひとりの可能性が発揮できる学校を目指してほしいと思います。
 そして他者からの学びを大切にしてほしいです。全国的にも優れた実践や教育理論が生み出されています。それらから学び、そして、眼の前の子どもたちや地域社会に向き合いながら、教育実践を創造していきましょう。教職員の研究と創造性・実践力をいかに高め、大切にしていくか、これがなおざりにされると実践は停滞します。従来どおりの考えや自分の体験の枠に縛られず、自分の意欲を発揮する「考える教師」の学校に育ってほしいです。懐の深い、チームワークのある教師集団を作ってください。そして学校を地域社会に開き、地域の教育力を掘り起こしていってほしいです。

 児童生徒の集団づくりは、重要な実践テーマになります。子どもたちの基礎集団は学級集団になります。助け合い、学び合い、育ち合う子ども社会です。従来これは担任教師と子どもたちによってつくられました。担任教師の意識と認識と実践力、その人間性は、学級の子どもたちに反映します。クラスのなかのコミュニケーションや討議を大切にする教師と、大切にしない教師とでは、学級集団の状況は異なり、子どもの育ちにも影響します。子どもによる学級新聞づくり、文集作り、担任の学級通信づくり、レクレーション、遊び、スポーツなども、子ども集団を熟成させます。授業は児童生徒の活発な自発的な参加によって生きたものになります。
 小中一貫校では、上級生と下級生徒の関係をどうつくっていくか、これは教育の重要な柱になります。上級生が小学生のクラスに入ってお世話する仕組みも考案されることでしょう。「きょうだい学級」とかもおもしろいです。お兄さん、お姉さんが弟、妹を教える授業も楽しそうです。児童会、生徒会の活動、部活動、などにおいても、児童生徒たちが自分たちで、学びと育ちの関係をつくっていくでしょう。
 下の学年の子どもは、良くも悪くも上級生から大きな影響を受けます。荒れた状態が起きたら、それは下の子どもたちに影響します。その逆に、良きリーダーシップを発揮する上級生は、下級生によい影響をもたらします。そこで上級生に意識と自覚を生み出す取り組みが成されねばならないでしょう。

 長年かけて創り出した教育実践の伝統が生きている学校が全国にあります。伝統が学校文化となって積み重ねられ、生徒たちの誇りや自慢になっているものは、学校の重要な教育力になります。
 たとえば、演劇教育。合唱教育。合奏教育。文化祭。運動会。弁論大会。読み聞かせ。読書教育。NIE。 学校園づくり(米作り、野菜作り、花作り)。自分たちでつくった作物を給食で食べる。飼育(山羊、鶏、蚕、ウサギなど)。野外活動(キャンプ、登山、探検)。宿泊訓練。長距離遠足。遠泳(鹿児島の錦江湾桜島まで)。地域ボランティア活動など、いろいろな学校文化を花開かせている学校はさまざまです。
 授業でも、学級活動でも、楽しい独自な試みができるとすばらしい。
 9年間の教育計画は、日本と世界の教育実践と研究に学んで、時代と社会と未来を考察しながら構想していくべきものです。自分の人生と自分たちの生きる社会をつくる力を持った人間に育つように、学力観をさらに深めることになるでしょう。
 何を創造するか、思い切った大胆な発想、アイデアを、みんなで自由に出し合うことだと思います。毎日が砂をかむような思いにおちいる生活にはぜったいしてはなりません。当たり障りのない、無難に適当にこなしていくような無感動な学校生活にしてはなりません。
 子どもがチャレンジしてひとつずつ脱皮して成長していく実践が、九年間の学校生活に位置づいて伝統となる学校では、子どもは楽しく、やりがいを覚え、誇りをもちます。
 M君にとっても、教師のみなさんにとっても、苦労の多い仕事になるでしょうが、やりがいもあると思います。果敢にチャレンジされますように、健闘を祈ります。