ノブの勉強



 日曜日の夜、公民館の日本語教室にやってきた二人は泣いていた。年上のオーさんの方がショックが大きかった。二人は日本語能力検定試験1級に落ちた。オーさんは、たったの1点足りなかった。トウさんは9点足りなかった。試験結果はその日分かったらしい。昨年1級試験が終わったときは、聴解の問題が難しく、できない問題があったから合格は無理かもしれないと、二人は覚悟はしていたが、たったの1点足りなくてアウトになったとなると、無念さがあふれるように湧いてくる。
 昨年、二人は2級試験には余裕で合格した。そして勢いに乗ってチャレンジした1級だった。中国国立大学の日本語科の学生でも、入学3年目の1級検定で不合格になる学生は1、2割いた。オーさんの場合は、日本に来て働きながら日本語を勉強した。彼女は故郷に夫、子どものいるお母さんだ。トウさんはまだ23歳で、独身。
 教室に入ってきた二人は、おばあちゃん先生の平倉さんに抱きしめられ、なぐさめられて、泣き笑いの顔になった。
 ぼくはそのとき、パラグアイのノブを教えていた。大友さんと中田さんはベトナムの青年、ハップさんとトーさんを教えていた。
 泣きべその二人は、おばあちゃん先生の二人とお話をしているうちに気持ちが安らいで、笑い声が聞こえるようになった。
 パラグアイのノブは、期末試験の最中で、翌日国語の試験があるから、そのための勉強だった。彼は定時制高校に通っている。中学3年のときに日本に来て、その後3年間臨時工や派遣社員で働いたが、将来日本で生きていくために技術をつけようと考え、高校卒の資格を取ることにした。
 勉強終了の時間が来たが、まだノブの復習プリントは何枚か残っている。
 「あした、時間あいていますか」
 ノブがぼくに訊いた。
 「あしたなら、いいよ。どこで勉強しようか、ここの図書館どうだろう」
 「はい、いいと思います」
 そこで公民館の受付に行って訊いてみると、図書館は月曜日休みだという。
 「図書館休みだって。じゃあ、うちに来るかい」
というわけで、月曜日の午後、ノブは降りしきる雪の中を車で我が家にやってきた。 日本に来て、車の免許も取り、軽の中古車を持っている。
 「スノータイヤ?」
 「はい、自分で換えました」
 勉強は工房でする。ノブが来るから、薪ストーブに火を入れ、太い薪を掘り込んである。工房の別名「野の学舎」、そこでの初勉強だ。
 ノブは漢字をあまり覚えていない。練習問題の、問いのなかの常用漢字も読めないのがいくつもある。試験範囲に三編の詩がはいっている。三編の詩は高校の授業で学習を終えているのだが、ノブは詩に出て来る漢字が読めない。練習問題の解答は高校の先生が黒板に書いたのを写してある。鉛筆で書かれたノブの小さな文字は読みづらい。その解答も漢字の読みも理解もできていない。
 「クラスは6人、まじめに勉強するのは二人だけ。あとの人は眠っていたりケイタイやっていたり。退学も多いです」
 全員10代後半の生徒だ。
 「ぼくは、年上の人が好きだから、年上の生徒がいるといいな」
 「そうだねえ。いろんな年齢の人が一緒にクラスをつくって、勉強できるといいんだがねえ」
 試験は夕方6時15分から始まる。ノブは雪の中を学校に向かって行った。