人間を作り変える軍隊 <野間宏『真空地帯』>


 おそらく戦後生まれの現代人には旧日本軍の組織がどんなものであったか、想像もつかないだろう。野間宏は小説「真空地帯」のなかで、自分の体験をもとに実態を詳細に描いた。国内に駐屯する大阪歩兵第37連隊歩兵砲中隊、内務班の生活。
 経理事務の任についていた三年兵の曽田一等兵は、外出許可を取って任務のために一人外出した。場所は大阪市内である。兵営内の閉ざされた世界は真空地帯、そこに兵士たちはつながれている。

 <曽田は事務室で週番下士官から公用証をもらって、衛門のところまで行った。しかし彼は兵隊が外出にさいして衛門を向こう側へとおりぬけるときに感じる、あの、「ざまみやがれ」という感情をもつことはできなかった。(ざまみやがれ、追っかけてはこられんやろ! ここまでは。) 曽田の胸には部隊(軍隊)にたいして吐きかけるこのような言葉が、今日も出かかっていたが、それは彼のうちのどこかにひっかかっていて外にはでてこなかった。彼は衛兵所で中隊名と行き先を書きいれて衛門を一歩またいだが、みるみるゴムのようなあるいは雲のようなものが、衛門のうちから自分の後を追うてくるのを感じた。それは紐のような、また手のような形をしているかのようだ。それはいつも彼が衛門を一歩外へ出るたびに後ろからついてくるのだが、それはどこまでも部隊のなかからくりだされ、のびてくる。彼は部隊から紐をつけて出された人間だから、再びたぐりよせられて、そこに引き戻されなければならない人間だった。
 街を人々はあるいていた。人びとはのんびりとあるいていた。馬場町の公園前は電車を待つ人々がいつまでたっても電車が来ないためだろう、次第に多くなり、歩道の方にもあふれていた。大阪城天守閣がそのうしろに暗くかがやいていた。公園の潅木のなかに人影が動く。そして彼らはみんなのそりのそりと歩いているように思えた。彼らの足はしばられてはいなかった。彼らには部隊の紐がついてはいなかった。しかし、曽田の足をしばっているのは、歩兵操典の条文であり、曽田の眼をしばっているのは陸軍礼式令の条文だった。彼の眼はたとい一人の上官をも見落とすことがあってはならなかった。

 軍人ハ特ニ規定アル場合ヲ除クホカ上官ニ対シテ敬礼ヲ行ヒ上官ハ之ニ答礼シ同級者ハ互ニ敬礼ヲ交換スベシ。
敬礼ヲ行フトキハ通常受礼者ノ答礼終ルヲ待チ旧姿勢ニ復スルモノトス。

 曽田の時間、空間は条文のなかにあった。
 府庁の前の公園の葉を落とした藤棚の下に腰を下ろした二人連れの若い男を曽田は見たが、その二人がひょいと顔を上げて自分のほうを見たとき、その寒そうな細い表情をした二人の顔は人間の顔だ。
‥‥‥
 曽田は自分の軍服と軍帽と巻脚絆の下に、自分を持っている。それが彼の自分だ。大学を卒業して教員になり経済学と歴史学を勉強して生きてきた自分だ。この服の下、襦袢の下にその自分がいるのだ。しかし、その自分のなかへ行くことはいま彼にはできはしない。‥‥曽田と軍服の下の自分とをへだてているものがある。そしてその向こうに彼はいるのだ。その向こうに‥‥。軍隊の多くの条令がこの服のようにこの曽田の自分のうえにクモの糸のようにまつわり食い入り、それを曽田から遠くへへだててしまう。‥‥さっき公園で見かけた二人の職人風の男、あのペロペロのスフの国民服を寒そうに風に動かしていた男たちも、明日召集にあうならば、兵営の鉄の柵をこえて、向こう側からこちら側へつれてこられる。すると彼らの体は、襦袢と袴下とにしっかりつつまれ、彼らのもっている自分を遠くの世界へやってしまう。自分はそこにいる。その向こうに。うめき声をあげてその向こうにいる。>

 真空地帯で兵士たちは、うめき声をあげながら、人間性を変質させられていく。殺すか殺されるかという戦場におもむけば、恐怖と憎悪によって精神がマヒしていく。兵士は、戦闘員を殺すだけでなく、場合によっては民間人も女性も子どもまでも殺した。軍隊はそれを遂行し得る人間につくりかえた。
 すなわち、
1、戦争を遂行するための思想を注入し、
2、上下関係に従い、上官の命令に忠実に服す兵士に教育し、
3、非人間的行為に耐える兵士をつくった。