子ども会

 昨夜は公民館で、各区の子ども会育成会長の会議があった。議案の最後のほうで、各区の一年間の活動を振り返って活動の状況を出し合うことになった。今日の会議は短時間ですませたいと議長が言う。
 各区の報告を聞いていると、そのなかに、興味ある報告があった。
 T地区の会長の報告だった。田鯉を飼った。田んぼに鯉の稚魚を放し、秋の米の収穫期まで鯉を育てたという話だった。子どもたちは泥んこになって田んぼに入って鯉を捕った。その区ではまた、川の水を引き込んだ水路で、ホタルを育てる取り組みをしているという。詳しく知りたいという思いにかられて、いくつか報告者に質問をした。しかし詳細はよく分からなかった。報告者によると、安曇野の中でもホタルの飛ぶところがあるらしい。ゲンジホタルは見事なものだと。
 そのとき、ぼくの頭に湧いてきた思いがあった。
 「こういう実践が、まったく知られていないんですねえ。初めて聞きますよ。田鯉にホタル、参観したかったですねえ。こういう情報をもっと知らせられないですかねえ」
 思わずそう発言すると、役員と行政担当者が、そういう情報を書いて持ってきてもらって、公民館に置いて、それを閲覧できるようにしたらどうだろう、あるいは回覧板にして回したらどうだろう、と言った。
 地域のそういう活動を、わざわざ文章化して、行政に届ける、それは簡単にできることではない。負担になる。そしてまたそれを公民館まで見に行く人がいるだろうか。たぶんそれでは情報は眠ったままで、市民に広く伝わることはない。
 そこからぼくの思考は、かねてから思っていた市の広報のあり方のほうへスライドした。
 「市民が何を考え、何をしているか、市民の声や市民の情報が市の広報誌のなかにまったく現れていません。行政は、まず、市民のなかに入っていって、現場取材することですよ。取材して広報することです。市民の活動がまったく情報として伝えられていないです。」
 現場へ行かない限り市民の考えや市民の状況をとらえることはできない。ぼくの意見は市の広報誌のあり方への注文になっていった。
 「莫大な費用を使って毎月出している広報誌が、行政の伝えたいことばかりで、市民の側からの情報が掲載されていないです」
 ぼくはあまり批判的な発言をしたくなかった。が、議長はぼくの意見を市への批判と受け止めたらしく、発言を途中でさえぎった。
 「ここはそういうことを言う場ではない。時間もないからやめてもらいたい」
ぼくの意見はちょっと勇み足になったかもしれない。そうなったのは、この数年間の行政に対する市民運動の体験から出てきた想いが走ってしまったからだった。ぼくは意見を打ち切った。
 地区報告の最後になったぼくは、今年の地区子ども会の「マスつかみ」「農業体験」「三九郎」「納涼祭の出店」を報告した。
 子どもの手による子ども会、めざすはそこだが少子化が進むし、今の社会状況ではなかなか難しい。大人が用意した行事だけの子ども会では、地域子ども社会は生まれない。自分の無力さをかみしめる。
 子ども会育成会の今年度の決算、会計報告、活動報告、来年度の地区の役員名簿、たくさんの書類を完成して、3月に市に提出しなければならない。疲労感が体のなかによどむ。会議が終わると、ため息が出た。