学校の中に残り続ける暴力性

 戦前の教育が戦後の学校教育の中に生き残っている、それは体罰である、軍国主義教育の軍事教練と軍隊内の上下関係の中にはびこった体罰は、戦後も学校に生き残った。自分が体験してきた学校を振り返ると、先輩教師から後輩教師へ、強い指導のひとつとして、体罰が完全否定されずに暗黙に容認されてきた。子どものしつけや指導に体罰が振るわれたのは、歴史的には古くまでさかのぼれるかもしれないが、それは集団的なもの組織的なものではなかった。江戸時代の子どものしつけに、日本人はあまり体罰を振るわず、子どもが大切にされていると感じたのは外国からやってきた西洋人だったが、明治になって学制が発布されると、近代的軍隊の組織化と歩調を合わせて学校体罰が行なわれるようになり、鍛錬と国民教化が積極的に推進された。
 そして、敗戦。軍国主義教育は断罪され、民主教育への変革が始まる。
 戦後興ってきた民間団体の教育研究や日教組の自主的な教育研究会の実践は、戦前の教育を批判し、自らもそれに手を染めてきたことを自己批判して、過去をきっぱり清算するところから始まった。新しい教育の創造実践は実に百草の萌え出るようであった。しかし、過去の残渣はしぶとく生きつづけ、戦後68年の今、教育の実像をどう評価できるだろう。

 先日、あるテレビ局が、吹奏楽コンクール高校の部の全国大会に出る強豪校に密着取材していた。何度も金メダルをとっている学校だった。昨年はメダルがとれなかった。今年こそは再び金をとろうと、生徒たちも顧問の指導教師も必死になっていた。演奏はすばらしい。行進しながら演奏するところでは、一糸乱れず、美しい調和の美を生み出している。ところが、その学校の練習場面を見ていたとき、指導している教師の激しい怒鳴り声が響いた。生徒を名指しし、怒鳴り上げ、「出て行け」と言う。生徒は素直にそれを受け、室外に出て、そこで練習をしている。何度かそういう光景があった。優勝するための厳しい指導である。生徒はそれを受け入れてがんばっている。その情熱と努力する姿はたいしたものだ。しかし、なんだか違うという感じが残った。体育会的指導なのだ。美しい音楽をめざす、心を一つにしてハーモニーを生み出していく、そのなかに響く怒声がまったく不調和なのだ。そんなに怒声を浴びせなければ、指導が貫徹しないのか、という違和感だった。その言語と行為と感情は、芸術性やハーモニーを破壊するものなのだ。
 ぼくはそれを見て、これは勝つための体育会系の指導だと思った。体育会系の指導は、強くなるため、勝利を得るために体罰的指導におちいりやすい。
 その吹奏楽金メダルの高校の生徒たちは、教師の強圧的指導を心得ていて、それが的確であるから受け入れもし、心の負担にはなっていないのかもしれない。それでも音楽の世界になぜこんな罵倒のような暴力的言語がまかりとおっているのかと思った。金メダルのために。

 愛知県の高校生の自殺を調べていた第三者調査委員会が、「体罰を見聞きすることでも自殺の一因になりうる」という報告書をまとめたという。県立刈谷工業高校2年の男子生徒が11年6月、自殺した。野球部に所属する生徒たちは、体罰を含む指導に野球部を辞めたいと思っていた。しかし、監督の慰留もあり、就職への影響も考えて、辞められずに苦しんでいた。自殺した生徒は、直接体罰を受けていなかったが、他の生徒の受ける体罰を目撃していた。生徒は、うつ病を発症し、自殺に追い込まれた。調査委員会は、「直接の体罰がないから、自殺と無関係であるという短絡的判断はやめたほうがいい」と述べている。
 自ら命を絶つようなことの起きる学校の暴力性を抉り出す力があまりにも弱すぎるのだ。
 体罰のひそむ学校には教育のイノベーションも育たない。